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『人生で必要なことはすべて落語で学んだ』童門冬二

人生で必要なことはすべて落語で学んだ

 この本を読み進めながら、思い出したことがある。

「こんな話をしてくれる魅力ある大人が、少なくなったなぁ」

いつかの夜、ある落語家が出演する深夜番組をみていたとき

「昨日な、面白いおっさんにあったんや」

と、そのエピソードを楽しそうに紹介していた姿を見て、そんなことをふと思ったことがある。

 落語に頼らずとも、核家族化が進む前なら、家の中にそんな話しをしてくれる存在がいたし、家にはいなくとも、町には一人くらい、話しの面白い大人がいたものだ。僕は関西の血が流れているからか、そういう「面白いオジサン」の話しを楽しみたい…という気質がかなりあるようだ。不謹慎な話しだが、いつかの運転免許書き換えの際、違反者講習を担当された教官の語り口がとても素敵で、「これなら、また講習を受けるのも悪くない」などと思ってしまったほど(反省)。

 人生の喜びや機微、憂いを、日常にあるような話題を通じ笑いにかえて(ときには皮肉を添えて)語り、それを楽しみ共有する…落語の醍醐味は、きっとそんなところにあるに違いない。落語の面白さが理解できるようになること=どれだけ豊かな人生を送ってきたか? ということが問われるような気がする。それは落語に限らず、音楽や絵画、食事を楽しむときでも同じことだろう。ある体験を通じて、そこに楽しさや喜び(または怒りや悲しみ)など、どんな感情を抱くかは、その人の中にある経験や知識、記憶、想い出…その瞬間までに積み重ねてきたもの、そしてそのときの心情や境遇が大きく影響を及ぼす。

 僕もそろそろ三十路半ばを過ぎる頃…これまでの歩みが豊かだったのかどうか? 試してみる頃かもしれない。