ITALIA
近く発表する予定の「習作」を今日もせっせと製作。非力なマシンで重たい映像処理をさせているせいか、手を動かしているよりも、映像が書き出されるのを待っている時間の方が長い。その間は、音楽を聴いたり本を読んだり…ときには、窓辺から注ぎ込む陽光を浴びながら、ただただボーっとしたり…。
屋外の緑が風に揺らめいて、レースのカーテンに様々な模様の光と影を映してゆく。この時季特有の空気の澄んだ感じが、屋内にいながらも伝わってくるようだ。「東京だって捨てたもんじゃない」——そんなことを思いながら、仕上がりを待つ時間を楽しんでいる。
映像を自分の作品として手がけるのははじめてだけれど、これまでも仕事としていくつか、簡単な映像作品を制作していた。それもすべて、静止画をつなぎ合わせてアニメーション化する作業ばかり。今回も、その中で得たノウハウを活かして、作業を進めている。普段から撮りためている写真をふんだんに使いながら…。
僕は作曲家だから、音楽の力を借りることができる。単なるスライドショーでも、音楽が乗れば、それだけでも十分に見ごたえのあるものになる…それはわかっているのだが、どうも、手を進めるごとにこだわりがでてきて、どんどん、制御するパラメーターが増えていってしまう。この画像は、ただフェードアウトするだけじゃなくて、徐々に小さくなってぼやけながら消えていくように…画像の周囲は、マスクをかけて影を落とすように…なんてやっていると、映像を書き出す際に、膨大な時間が必要になってしまう。まだ作業の要領がつかめていないから、想像だけでは仕上がりが見えてこない。だから、書き出してチェックしてうまくいかなければまたやり直す…その繰り返し。そんなわけで、今日も待ち時間ばかりになってしまっている(発表はもうじきだというのに)。
映像を手がけるときは、いつも以上に、作業効率を考える。いかに無駄な時間を減らすか? 映像を書き出している間に、何かすることはないか? できることは? なんていっても、たいていは、休息になってしまうのだけれど…。
今宵、映像を書き出している間、このところ、まったくと言っていいほど見なくなりつつあるテレビをちょっとつけてみると、「また」、イタリアの素敵な街並みを紹介した番組が放送されていた(日本のテレビ局は、イタリア好き過ぎる・苦笑)。
毎度、そんな番組を見るたび思う。
「なぜ、僕はイタリア人じゃないのか?」
ため息が漏れるほどの美しい街並み。近代芸術の祖といえるルネッサンス発祥の地だけに、どこを切り取っても美しく見えるのが不思議だ。テレビだから、いいところばかり紹介しているに違いない。でも、それにしたって美しすぎる。だから、本心から思う。
「どうして僕は、イタリア人じゃないんだろう?」
ってね。
イタリアの全てに、深い嫉妬を覚えるのは、僕だけじゃないだろう。
「なんで、何もかもが、美しいんだ?」
日本だって、美しさでは誇れるはずなのに…それが普段の暮らしの中で見えてこないのは、さびしい。
「いつか、日本めぐりをしたい」
僕のこの口癖を実現できる「優雅な日々」は、やってくるのだろうか?