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Stockhausen Farewell

シュトックハウゼンが逝った。


今、自分の仕事の新しいシリーズとして検討している作品の習作を創っている。「習作」といったら…ちょうど同じタイトルの電子音楽作品があったなぁ…そんなことをふと思い出して、シュトックハウゼンの「習作」を聞いていたのが、5日のこと。奇しくも、氏の命日となった日だ。
 
 

 
来る年賀状シーズンを目前にして、この12月、友人知人から喪中を知らせる便りが立て続けに三通、届いた。共通していたのは、いずれも11月中旬に亡くなられたこと。病に伏している方やご高齢で体力が衰えている方が寒い時期を乗り越えられないとは昔からよく聞くが、先に寒波が押し寄せたりしたせいもあるのだろう。残念である。


僕自身、今年…いろいろと苦しい出来事が続いて、体調を崩し気味だったこともあり、この時期、寒さがどれだけ身体的精神的苦痛を及ぼすかを、まさに「身にしみて」痛感していたときだった。そんなところへ、巨匠の訃報。同朋だったノーノもクセナキスも既に故人…。そして遂に、シュトックハウゼンも逝ってしまった。いずれはこの瞬間を迎えなければいけないわけだが、理屈では理解できていても、実際にその現実を目前にしたときの衝撃からは、いつだって逃れることができない。


いつか、誰からか聞いたことがある。


「親を亡くしたときの悲しみを和らげるために、人は、自分の家族を持つんだ」


確かにそうかもしれない。


多くの都市生活者と同じく、親戚付き合いも薄い核家族の中で育ったから「親族の死」というものを記憶の中に持ち得ていない。生物の法則から言えば、僕の場合は、親を失うのが最初の記憶になるはずなのだが、そのときのことを想像すると、計り知れない恐怖を覚える。最近、ご親族をなくされた知人は「想像以上の喪失感の大きさに堪えた」とおっしゃっていたし…。そして僕は…未だ、独り身…。親はまだまだ元気だから安心だけれど(もしかしたら僕以上に元気かも?)。


自分のことで精一杯で、孝行らしいことは何もできていないけれど、こうして作品を発表し続けることがせめてもの親孝行だと信じて、今日ものたうち回りながら「習作」を創っている。シュトックハウゼンのそれとは赴きの異なるものだが、氏がかつて成し遂げたことのように、僕の「習作」も誰かの心に響くことを願ってやまない。


この時季にぴったりの、安心の雰囲気が感じてもらえるような仕上がりを目指して…。そして、同時にそれが、表現者の端くれとして、後を継ぐものからの、せめてもの弔辞となるように…。


謹んでご冥福をお祈りします。