日本史
今も、年末から引きずっている業務の真っ最中。そろそろ体力も限界に近づきつつあるが、手がけている仕事の重みをかみ締めているせいか、未だやる気は十分にある。
この仕事は、とある都市の現在・過去・未来までを描いたストーリーの映像に音楽をつけること。歴史を扱ったテーマだということに加えて、なにやら最近、日本について詳しく知りたい気分が高まっていることもあってか、つかの間の休憩の時間に、20年前…つまり、高校生のときに使っていた日本史の教科書を取り出して目を通したりしている。
なぜか、日本史と保健体育の教科書と地図、それから授業で使った音楽史の書籍だけは捨てずにずっと置いてあったのだ(このほか、受験のときに活用した数学の公式集と英単語本「出る単」も手元にある)。歴史の教科書は、いつかまた開くときがくる…と思い続けて20年。ついにそのときがきた! というには遅すぎるが、ざっと斜め読みしてみると、その内容の薄さにびっくりした。教科書では補えない部分を授業で先生が解説していくわけだが、それにしてもこれはひどい。どうりで、当時歴史の時間に興味を覚えられなかったわけだ。
けれど、今になって読んでみると、教科書に触れられている内容の行間が読める…というのか、付随する周辺知識が増えているおかげで、そこから色々な想像をめぐらせることができるのが楽しい。今、関わっている業務に関連した話題も登場するので、より興味を深めながら読み進めることができた。
それにしても…いつの時代も、日本を統治する政治家達の頼りないことといったら…。今も何も変わっちゃいないこの現実と比べて、深いため息をついてしまった。
歴史の内容も、その後さらなる検証が進んで、僕が教わったころと今教えられていることでは、ずいぶんと内容が違うらしい。昔から、疑わしかったんだ。「これって、本当にあった出来事なの?」「この人物は本当に存在したの?」——そんな疑問が自然と沸いたことを今でも覚えている。
大方の子供が抱きそうな疑問でいっぱいだった青臭い時代を過ぎて、ロマン派として激情的な作風をウリにする作家に育った今、歴史という「ドラマ」に、徐々に興味を示し始めてきている自分がいる。世界のあちこちで起こった一つ一つの出来事があるときつながり、大きな流れとなって今に通じてきた様子を知ることは、創作の手がかりにもなりえることを、この歳になってようやく知った。
きっかけは、何でもかまわない。何かの手がかりになることを、身の回りにある全てのことから探しているんだろう。
なんだか、考えがまとまらない。このところ、連日、日付をまたいで作曲し続けているせいか、作業が終わってゆっくり風呂に浸かっても、なかなか気が休まらない。意識は朦朧としているのだけれど、眠たいわけじゃないという、どっちつかずの状態。こういうときに寝酒でもするといいのだろうけれど、そういう習慣は身につけたくないから…。お気に入りの音楽でも聴いて気を静めたいところだけれど、作曲し続けている日常では、流石にその気にもならない。
とにかく、身体を温めて横になろう。何を書きたかったか…思い出したときに、また。