無題
最近また、いろいろと考えることがある。
いつかも書いたとおり、答えの出ない、禅問答のようなことばかり、あれこれと。
たとえば「命」について。
想像してみた。
今ここで、新しい命が生まれる。
と同時に、世界のどこかで、そっと生涯を閉じる瞬間がある。
当たり前のことだ。
そこからまた想像してみた。
いい言葉がまだ思い浮かばないのだけれど、こんな感じ。
地球上の、いや、宇宙上の全生命体には「定員」があるのかもしれない…。
このところ、こんなことをぼんやり考えたりする。
草木が枯れ、それを肥やしにまた別の花が咲くように
命は、連繋している。
美しい花を咲かせるためには、汚してはならないことがある。
繋がりの輪の中で巡り合い咲いた美しい花は、健やかにその命を育まなければならない。
そしてまた、いずれ花は散り、新たな芽生えともに巡り合い、再び別の花を咲かせる…
その繰り返し。
大昔から伝えられているとおりのこと。
変わってはいけないこと。
喜びと哀しみの関係も、同じことではないのか?
今ここで、誰かが笑う。
その笑顔が届きそうもない遠いとおい場所には、哀しみに支配されている誰かがいる。
そのまた逆も然り。
今の喜びは、誰かの哀しみと引き換えに——。
今の哀しみは、誰かの喜びのために——。
そう思うと、厳しいときでも、ほんの少しくらいは気がまぎれるかもしれない。
なんて、まるで何かを悟ったかのようなことをいってみたところで、何の解決にもならない場合がほとんどなのだが…。
だって、やっぱり目の前に直面する苦しみほど耐えがたいものはないから。
でもさ、
今、目の前にある「この喜び」に勝るものはない。
そんな風に感じ取れるようになったら、今より少しは穏やかにいられそうだね。
その瞬間を見逃さないように、もっともっと心を磨いていきたい。
それが実際、なかなか難しいのだけれど…。
感情を抑えるんじゃなくて、コントロールできるようになれたらいいのに。
何かを手に入れたら、別の何かを手放す必要がある。
最近、そう思う。
きっと、それができてはじめて、いろんなバランスがようやく整いだすのだろう。
んっ?
先人達が考えつくしてきたようなことを今頃…(苦笑)。
だけど、当たり前のことを常に見つめること——
どんなときも、大切なことだから。
今が、そのとき。