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2008年10月26日

カオスの淵で

 複雑系という概念の中で、生命の誕生について捉えると、今、こうして僕らが出逢っていることは、まさに「奇跡」だということを痛感する…そんなお話を聞きながら、現在進行中のプロジェクトに関連した会合へ出席。

 座の様子がまったく見えないままの出席となったので、出向くまではどうなることかと心配していたが、顔をつきあわせて話しをすれば、流石に、ここに呼び集められた理由がよくわかった。

 逢う前から、既に意識は共有できていた。表現する言葉はそれぞれ異なれど、皆、同じ意識で取り組んでいる。そのことに、安心を覚えた。
 
 

 安心を覚えたというのは、何も、僕の緊張が解きほぐされたという意味ではない。この時代に、作り手の多くは、同じ問題意識を抱えているということにである。

 だが、なにもこれは、作り手だけが抱いていることではないはずだ。今に生きる誰しもが、心のどこかで「本当はこうした方がいいんじゃないか?」と、そう思っているに違いない。けれど、それが様々な事情で、出来なくなってしまっているこの現実…何とかしなければと考えているのは、誰しも同じなのである。そうした意識が世の中に常にあるとすれば、僕らにできることは、「最初の一歩を踏み出すため」の、そのきっかけとなる何かを現実の中に据えていくことだ。

 どういう形になるかはわからない。もしかしたら、形には存在しないものになるかもしれない。これからどういう経緯を経ていくかわからないが、カオスの淵で起こった奇跡的な偶然で出逢い交わした想いは、いつかきっと、どこかで花開くに違いない…そんなことを、帰り道、ぼんやり考えていた。

 今日の出来事は、同じ時代に生きるということ。そして出逢い、語り合い、触れ合うこと——そんな、至上のロマンティシズムが今も常に健在であることを改めて痛感させられた機会となった。こうした想いがこの場を飛び越えて次々と増幅され、もっともっと遠くまで響き渡ることを…今はまだ理想の域を超えられない状況ではあるが、思い浮かべている。その理想を現実に近づけていくために、もうひとひねり加えた現状の考察が必要になるだろう。
 

2008年10月15日

Long Autumn Sweet Thing

 展示も、始まってようやく一ト月が経過した。しかしまだ、折り返しにも到達していない。個人史上、最長の展示。まだまだ、横浜通いが続く。

 体調は、いまもって全快とはいかないまでも、日常を過ごすにはさほど支障は来さない程度まで回復している。先の連休前と昨日、しばらく放ったままになっていた作品の微調整のため、横浜へ赴いた。作業自体はさほど大変ではないのだが、移動が未だ身体に堪える。回復に向かっているというより、ただこの、調子の悪い状態に慣れてしまっただけかもしれない。
 
 さて、だいぶ好評をいただいている《ベアリング・グロッケン》のほか、今回は、あわせて3つの作品を展示している。グロッケンが、あまりにもわかりやすいプレゼンテーションとなっているせいか、他の2作品は、少々わかりづらい印象を与えているかもしれない。そのひとつ、Long Autumn Sweet Thingについて、少し触れてみたいと思う。
  
 

 
 Long Autumn Sweet Thing。我がデビュー作。すべての始まりでありすべての終わりでもあるこの作品は、僕にとっての「起源」である。そのプロダクション・ノートには、当時の日々が克明に触れてるあるが、簡単に完成までの流れを振り返るとこうだ。

 この作品は、2001年暮れごろから着想を始め2002年5月のプロトタイプ発表をきっかけに、2002年11月に発表。その後、2003年のUPLINKギャラリーBギャラリーまでバージョンアップを繰り返して完成をみている。

 全6パート45分——音と光だけしかない世界——あまり、こういう展覧会には向かない作品かもしれない。しかし、是非、時間をたっぷり用意していただいて、見つめてみてほしい。僕からのコメントは、今のところはここまで。あまり親切すぎるのは、自由に想像力を働かせる妨げになる。それは却って不親切というものだ。とにかく、ただただ、音と光に包まれる時間を過ごしてもらえたらと思う。

 以下は、上演時間リスト。休憩を挟まず、絶えず演奏を繰り返している(演奏——そう、この作品は「音楽」なのである)。僕の「吐息」が聞こえたら、それが最初のパート。備え付けのソファーに身を沈めて、そのまま、そっと見つめていてほしい。

Long Autumn Sweet Thing (2002-present)

part 1 - 6 全6曲 45分
part 1 - 6 6 pieces 45 minutes

10:00〜10:45
10:45〜11:30
11:30〜12:15
12:15〜13:00
13:00〜13:45
13:45〜14:30
14:30〜15:15
15:15〜16:00
16:00〜16:45
16:45〜17:30
17:30〜18:15
18:15〜19:00


 最後にもう一つ。近頃、小説をよく読んでいる。そのときにふと思ったこと——


 「読書という体験は、僕の作品と似ている」


 僕がこの作品に込めた強い想い…その断片でも感じ取ってもらえたら、本望である。
 

2008年10月05日

消灯

 どうしたんだ?
 
 

 
 全く体調が復調する兆しがない。この半月ほどの変調ぶりは、これまでに体験したことがないほどの荒れようである。特別な症状が現れないのが厄介だ。躰を休めても疲れが抜けない。厄年にはまだ早いが、過労、不摂生、運動不足…要因を挙げれば、まさに「暇がない」である。

 やるべきことは相変わらず山積みだが、焦るばかりで手が動かない。横浜での展示を見に来てくださるという方たちとの約束も、どれも果たせぬまま。今日も、当日になってキャンセルせざるを得ない状況で…嘆息するばかり。

 こんな甘えが許されるのも、そろそろ限界。とにかく、養生しなくては…。
 

2008年10月02日

LOVERS

 《LOVERS》。
 故・古橋悌二、遺作。

 東京オペラシティ アートギャラリーで行われている展覧会「Trace Elements」で展示中との噂を耳にして、体調も未だ思わしくないなか、足を運んだ。ふと気になって調べてみると、この作品を最初に見てから、もう10年になる。1998年。東京・青山、スパイラル——あの日のことは、今でも鮮烈に覚えている。
 
 

 
 現在参加中の展覧会「心ある機械たち」の出展準備中から、この情報が気になって仕方がなかった。「今、この作品をみたら、どんな気持ちになるのだろう」。そんなことが、頭を離れなかった。

 きっと、この作品を見ていなかったら、今、僕はこうしていなかったに違いない。1998年当時、僕はちょうど、創作の真似事を始めたばかりのころ。自分の内なるものだけでは足りることのない「刺激」を求めては、あちこち、足を運んでいた時代のこと。あの、狂おしいほどの感情が湧き上がるのはなぜだろう? すぐさまとりこになって、その空間の中に、どれだけじっとしていたかしらない——あれから10年。これまでの自分の歩みを振り返るにはちょうどいいころ。あの空間に、身体を預けにいった。

 発表から10余年。展示の状態も、決してベストとはいえないものだった。そして懸念していたとおり、当時ほどの気分にはなれないことを、その空間の中で知らされた。しかし、そこにそっと佇んでいると、本質は微塵も変わってはいないことがわかる。展覧会全体として、個人的に興味深い作品が多かったなかで、やはり、その存在感は、圧倒的だった。

 今日もどれだけ、あの空間に浸っていたことだろう。少々、粗が目立つ状態のなか、当時の記憶と照らし合わせ、ぼんやり、思索にふけっていた——できているつもりでいたんだ——まだまだ、まったく足りていない。まだまだ…まだまだ——最初に出逢った当時では到底想像が及ばなかったこと…それが今、なんとなくわかったような気がした。

 何に触れて、鑑賞者は、内に眠る感動を呼び覚ますのか? それは「作者の真摯で純真な姿勢」に他ならない。それが、目に触れる作品として、どれだけ純度が高く表現されているか? 創り手は、それだけを求めて日々、抗っているのだ。

 最高純度を求めて。

 次なる企てを実現するために、目前の現実を乗り越えなくてはならない。

 あれから、10年。
 これから、10年。
 
 ようやく、最初の一歩を刻んだのかもしれない。