« TAV 滞在1日目 | メイン | Hello Again »

TOKYO LIFE

 東京に戻った。
 

 
 

 
 リアルタイムで台北からの日常を書き記す予定だった。けれど、それができなかった。日々、思うことが多すぎた。書き記そうと必死に頭を動かすも、考えがまとまらなかった。そしてなにより、想いを留めること以上に大切なこと——現地の人たちのと交流——それに全ての時間を費やしたかった。作品制作を進めること自体も、まさに交流だった。台北で出来た友人達の力を借りて、沢山のことが現実となった。「今、するべきこと」。それは、部屋にこもって文章を書くことではなかった。

 70日間の滞在…感覚的には、半年以上の体験をしたような気がした。とにかく毎日、様々なことが起こった。「レジデンス・アーティスト」という守られた存在でありながら、浮かれた気分のままでいたわけではない。しっかりと、台北と、そして僕自身の現実を見据えてきた。

 そこでやはり浮き彫りになったのは、東京の暮らしの異常さだ。毎日毎日思い浮かべていたのは、いかに日常の暮らしを豊かにするか? それがどんなに作品制作に好影響を与えてくれるか、ということ。自炊しながら、お茶をいれながら、部屋の掃除をしながら、独りの時間を過ごす間、そんなことばかりを考えていた。
 
 
 もう、後戻りは、できないのだろうか?
 
 
 台北で展覧会を行い(現在も進行中)、いくつかインタビューらしきこともこなした。正確な引用ではないが、そのうちの一文を紹介したい。

 「台北には、懐かしさを覚える。僕が子供の頃に過ごしていたような東京に似た風景が今も残っている。と同時に、世界で二番目に高いと言われる超高層ビルがあったり、急速に近代化が進められてもいる…。今後、どちらに傾くのか? それともこれからも共存していくのか? 一足先に近代化を進めた日本の暮らしは、現状を見る限り、それは、誰しもが満足できる社会だとはいいきれない。これから台湾がどちらに向かうのか、僕には興味がある。願わくは、共存する未来をみてみたい」

 こう応えた後、通訳をしてくださった女性から「心に響いた」と直接感想をいただいた。嬉しかった。
 
 写真は、発表した作品 "Scene of Light" for Taipei の一場面。台北の街の様子を写真に記録しアーカイブ。鏡に浮かぶ状態で映像として映し出し、その映像には、鏡に写る自分と対話するようなテキストが現れる。サウンドトラックとして作曲した音楽は、台北で録音したピアノ曲。台北で聞いていた街のノイズも音風景として加え、2009年の台北を視覚と聴覚から完全に記録した作品となった。


 
 出発前に東京で完成させた東京ヴァージョンも併せて上映しているのだが…比較すると、あまりに病的な状態であることがわかる。僕にとってこの街は、暮らすのに向いていないのかもしれない。

 台北ヴァージョンでは、台北で惜しげもなく与えていただいた人々の優しさと、その背後に見え隠れする憂いを表現している。旅人のような状態での滞在では、何事も素晴らしく見えることばかりであるが、どこにも等しく、苦い現実がある。そうした現実の中では、東京の暮らしのように、疲れ果て、無言になり、全てが他人事として振る舞うのは容易だ。しかし、台北で出逢った人たちは、我々とは全く逆だった。過剰なまでの親切。この上ないまでの優しさを、惜しみなく注いでくれる——なぜだ? はじめはそれが不思議で仕方なかった。

 しばらく彼等との時間を過ごすうち、すぐに気がついたことがある。それは、台北で「今」感じた出来事は、「昔」、僕の身の回りにあった風景と同じだということ。多くの日本人が、忙しさの影に置き忘れてきてしまったものが、今もそのまま残っている。

 そんなことについて話し合った夜があった。彼等から発せられた言葉で印象的だったことがある。

 「俺たちは、一度も闘わなかったから。」

 オランダ、日本、中国…いろんな国が進駐してきても、一度も争わなかったその気質が、優しさの裏打ちになっているというのだ。

 一口で片付けられるほど、簡単な話題ではないはず。それをサラリと言い放てるこの「強さ」に返す言葉もなかった。本当の痛みを知るもの達だけに授けられる「優しさ」を、痛いほど感じた瞬間だった。

 僕はここで、何が出来るのか? 言うまでもない。作品でお返しすることだけ——。持てる時間全てを費やして制作に励んだ。だがしかし、ここでは東京での制作スタイルは貫けなかった。なぜなら、毎日毎日、誰かがやってきて、僕のことを構ってくれるのだから。集中したくても妨げられる…でもそれが、本当に心地よかった。そうした関わりがなければ、この作品は違う形で仕上がってしまったに違いない。そう、東京で作っているときと同じような、何もかもが過剰で深刻さばかりが目につく状態でだ。

 展覧会が始まると、僕に対する評価が一気に上昇した。映像と音楽…言葉ではなかなか伝えきれない表現ゆえ、作品が完成するまでは、何者?と思われていた節がかなりあったようだ。実際、「もっと自分のことについて語れ」と指摘されたこともあった。だが、そこは僕も自分のスタイルを貫いた。

 「仕上がりをみたらわかるよ」

 心の中では、ずっとそうつぶやいていた。


 東京でこのシリーズを発表する以上に、沢山のリアクションがあった。それが特別、次の機会に繋がりそうな気配は特にないけれど、とにかく皆さん、熱い想いを僕に直接伝えてくる。それも単なる社交辞令とは思えないくらいに真剣に。創作を始めた頃のような気分が蘇ってきた。想いが伝わったという素直な嬉しさがあった。今となっては、そんな純真さは影を潜め始め、とにかく「次の機会」に繋げるべく焦りばかりが目立ち始めているというのに…彼等の純真さを目の当たりにして、僕を覆い尽くしていたものがひとつ、ぬぐい去られたのだろうか? 

 きっと僕は、ここへ来ることになっていたんだ。

 相変わらずの都合のいい解釈を掲げて、束の間の喜びに浸っていた。


 東京に戻って、今日で10日ほど経過した。帰国翌日から、ベアリング・グロッケン二号器のお披露目となる展覧会が行なわれ、その後は、凱旋祝いの宴、墓参りを兼ねた京都大阪一泊弾丸ツアーと続いたせいもあるのだろう。とにかく今、破滅しそうなくらいに疲れを感じている。台北にいた70日間よりも、この10日間の方が圧倒的に疲れを感じてしまっているとは…僕の身体が弱っているのか、それとも、やはり東京の暮らしが何事も加速し過ぎなのか? 考えてもどうにもならないことは、今は考えないことにしよう。過剰に考え込みすぎる暮らしそのものが、僕にとっての「東京ライフ」といえなくもないのだから。

 帰国する間際、現地の友人に、東京の暮らしについて話してあげた。

「東京ではみんな、朝9時から終電間際まで働いているんだ。通勤には1時間〜1時間30分なんて当たり前で、お父さん達は子供と顔をあわす時間もほとんどない」

 信じられない、と、連呼していた。


 我々が「よかれ」と思って選択したこのシステムは、今、崩壊しようとしている。どんなシステムであれ、うまく稼働しているときは「よし」だろう。それがひとたび不具合を生じると…実際に血を流して命を奪い合ったいにしえのやり方よりも酷い出来事が起こってもおかしくないと思うのは、僕だけだろうか?

 こんなとき、いつも考える。自分には何が出来るのか? 具体的な応えは、やはりない。ただ、唯一約束できることがある。


 日々、律して生きること。

 
 それだけだ。
 
 
 台北での日常については、追って報告したいと思う。ほとんどおいしい食べ物に関する話題ばかりになりそうだけれど。
 
 滞在時の写真も、flickrに更新予定。展覧会が始まった後、一時更新を留めてしまったが、まだまだとりためた写真が沢山。順次紹介していく。

 http://www.flickr.com/photos/kawase/


 最後に改めて、この場を借りてお礼を伝えたい。

 僕を台北に派遣してくださったBankART1929の皆さん、アーツコミッション横浜の方々、いつも機材協力をしてくださるフォステクス カンパニー様、複雑な歴史事情の背景で日本と台湾の架け橋となってくださっている日本交流協会・台北事務所の皆さん、そして、現地の様子を誰よりも早く伝えてくださったTAVレジデンスの先輩・東野哲史さん、村田峰紀さん、台北で出逢った若き彫刻家・阿部乳坊さん…心細い僕を東京から送り出してくださったMMMの皆さん(不思議な集まり・笑)、突然の渡航にも関わらず快く送り出してくださった多くの取引先の皆さん。台北でのイベントのために快く映像素材を貸し出してくれた朋友・岡部友彦、福島慶介の両氏。そして何よりも、両親と兄弟と友人と…さらにはもちろん、台北で出逢った、僕の新しい家族達——Taipei Artist Village、Village Cafe,
、そこに集まる仲間達——、本当にどうもありがとうございます。またすぐに逢いましょう!

 Taipei Artist Paradise!