心地よい妨害
東京の暮らしに戻って早70日以上が経過した。すなわち、台北に行っていた時間と同じくらいの時間を東京で過ごしたことになる。いつもの生活…今日、この瞬間まで気付かなかったけれど、あのプライバシーなんておかまい無しだった台北での暮らしこそ、人の営みそのものではなかろうか? そう感じる。
展覧会直前、東京で同じ時期といったら、もっと張りつめた空気が漂っている。展覧会に限ったことではない。仕事の最中は、いつもそんな感じだ。つまり、ここでの日常は、常に緊張に満ちているのだ。
もちろん、台北での暮らしにも、緊張の瞬間はいくつもあった。いつもなら、そのまま自分自身を追い込んでしまう。しかし、その緊張を、周りの皆が自然とほぐしてくれていた。〆切直前、いい加減、制作に集中させてくれ! そう思ったことは何度もある。でも、あの「心地よい妨害」がなければ、乗り切れなかったのかもしれない。
それに引き換え、今はどうだろう? 制作に集中できる環境はある。だが、ただただ、想いが募るばかりで、何も進まないままだ。
東京での暮らしにも、そんな「心地よい妨害」がないわけではない。ただ、台北での暮らしと決定的に異なるのは「直接的」なことだ。ここでの暮らしのように、微妙な距離感、配慮は一切ない。メールや電話でのお誘いなら、断ることは容易である。だが、直接やってこられては、なかなか断るわけにもいかない。というより、気付くと部屋に屯して遊んでいるのだから、どうにも対処のしようがない。そしてまた、そういう状況が「楽しい」と自分もわかっているものだから、断る勇気を自ずと萎えさせてしまう。当時はその自らの姿勢を反省すべきとも思ったが、仕上がった作品は満足の行くものだったし、また評判も上々であったことから考えても、奇跡的に、理想的な環境であったと結論できるのではないかと想像する。
どこにいても、そこに生活の根を下ろしたところで、同じ問題に直面する…これは台北にいたときに感じた現実である。あのとき結論したのは、それを回避するためには、根を下ろす前に次の環境に移り住むことだ。実際に、こういう手法で世界を渡り歩いている作家は多いという。無論、それをそのまま受け入れようとは思わないけれど、たとえ同じ場所にいたとしても、気持ちを入れ替えられる明確な手法を手に入れたい。何かを変えるとしたら、それを自ら手に入れてから先のことになるのだろう。
台北で感じたことの集大成を、今年のうちに発表したいと考えている。その企てを実らせるために、ある提案をまとめようとしている今…そろそろ、その作業に集中しなければならない。「心地よい妨害」はここにはない。いつものように、とことん、追い込んで進めよう。
今日、台湾から届けられたメッセージは、どうやら東京の暮らしでは守れそうになさそうだ。
Don't give urself too much pressure!
全力と投じてやりきることくらいしか、僕には約束できることがないのだから。