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2009年10月12日

神戸ビエンナーレ2009「アート イン コンテナ」参加

 神戸ビエンナーレ2009「アート イン コンテナ」展に、YEN DESIGNというグループ名義で参加している。


 神戸ビエンナーレ|「アート イン コンテナ」国際展
 
 

 
 この展示は、コンペティション形式となっていて、先頃、受賞者が発表となった。惜しくも目指していたグランプリは逃したものの、我々、YEN DESIGNの作品「snow bar N43」は、審査員奨励賞を受賞。雪降る映像を使いバー空間を再現するというインスタレーション作品で、僕はその空間内部で流れる音楽を手がけた。

 実際の映像は、19分にもおよぶ長さがあるのだが、音楽は、始めと終わりがわからないような内容を目指した。雪の舞う様には、始めも終わりもない。その現象を妨げないように、繰り返しているような繰り返していないような構造にしたというわけである。そしてもちろん、ここ数年の僕の仕事では恒例になりつつある「過剰なまでのロマンティシズム」をここでも発揮している。じっと空間に身を寄せていると、その瞬間を、そして僕が狙った最大の醍醐味を目撃することができるはず。

 それにしても、雪の舞う様は、何とも不思議だ。何かの意図を持っているような…または、何かを訴えかけてくるような…。それらは、迫り来る恐怖に似た何かだったり、大切な記憶を呼び覚まされるような温かさやロマンティシズムだったり…と、実に様々な事象を思い起こさせる「魅力」がある。映像から感じた印象を、素直に音として変換したのが、今回の作品「snow bar N43」のための音楽となった。

 下記は、主催者側によって公式に撮影された内部空間を紹介する映像記録。他の出展作品もYouTube上にいくつか紹介されているようだが、この作品はもちろん、実際に体験しないとその醍醐味は伝わらないはず。会期は11月23日まで。特に我々の「snow bar N43」をたっぷり味あうなら、雪のイメージが似合う肌寒さ増す時季に訪れてもらうとよさそうだ。
 
 

 

2009年10月11日

Long Autumn Sweet Thing in Korea

 我がデビュー作である音と光のインスタレーション《Long Autumn Sweet Thing》が、2009年9月30日から11月25日まで、韓国・大田市(テジョン=Daejeon市)にある、Daejeon Museum of Artでのグループ展「Hitchhiker to the galaxy」に展示される。

 これまでの代表的な展示記録は、下記に。

 http://www.kawasekohske.info/LAST/
 

 YouTube上にも、作品紹介をアップしている。

 
 
 

 
 9月28日から10月1日まで、設営と展覧会オープンニング出席のため渡韓。金浦空港からバスで3時間ほどの場所にある大田市は、温泉地として有名らしいが、日本のそれとはだいぶ印象が違う。大田市そのものは、日本の筑波をイメージして都市計画がされたとのことで、KAISTと呼ばれる技術系大学(日本でいうところの東京工業大学やアメリカのMITのようなテクノロジーに関する専門性を持つ大学)などと市、美術館が連動して、二年に一度、メディアアート系の展覧会を催しているという。1993年には、大田万博も開催された。今回の渡航期間中は、観光をしている時間は全くなかったので、その当時の様子を味わうまでには至らなかったのが残念なところ(美術館エントランスホールには、当時の万博のために制作されたナム・ジュン・パイクの巨大な作品が鎮座している)。今年は、台湾・台北へ70日も滞在した経験があるだけに、僅か数日の渡航では「行った気」にならないというのが正直な感想だ。これはもう、韓国へもレジデンスしに行くしかないかもしれない。

 ちなみに、2007年開催の同美術館での展覧会には、僕が音楽を担当した映像作品《PopulouSCAPE》が召還されている。なかなか深い縁、と言えるだろう。

 今回の展示の依頼を受けたきっかけは、2008年、BankART1929 Yokohamaで行なわれたグループ展「心ある機械たち」。そこに展示していた同作品を実際に見たという韓国のキュレーターが直々に声をかけてくれたのである。「オファーが来るかも」という事前の通達は、BankARTを経由して今年の2月頃からいただいていた。正式なやり取りが始まるのはその随分後からとなるが、作品輸送のための作業が本格化した9月、作品メンテナンス中に突如の機材トラブルに見舞われ、回復させるために壮絶な時間を過ごすことになる。同時に国内で進行中のプロジェクトのための準備や出張も重なったため、韓国から帰国後、予想通り、体調を崩した。緊張の糸が途切れたときに訪れる、我が家で言うところの「やれやれ病い」である(要するに、風邪)。

 準備中は、流行している新型インフルエンザに備えて、日常のうがい手洗いはもちろん、マスクを常用し備えていたのだが、遂に限界を越えてしまった。幸い、症状はさほど重くなく、この連休の間、自宅療養をしていれば回復する見込みだ(受診したわけではないから正確には言えないが、インフルエンザではないはず)。自らの不徳の致すところではあるが、進行中のプロジェクトのためのリサーチも滞り、さらに次なる挑戦のための準備の時間も減る一方…。とにかく身体を復調させようと、今年話題のビートルズのリマスター盤を聞きながら、心も併せて束の間の休息をとっている。

 それにしても、思えば、いわゆる「ホワイトキューブ」と呼ばれる「美術館」での展示に個人作品が召還されたのは、これが初めてである。便宜上、自らの立場を「作曲家・美術家」と名乗っているが、未だ自分が何なのか? 全くわかっていない。音楽の世界の人でもないし美術界の住人でもないような…そんな気がしている。気づけば、音楽仲間よりも、知人や仕事仲間はアートに携わる人たちの方が圧倒的に多くなっている。単なる比率でいえば「美術に携わる人」ということなのだろうか? そんなスタンスだから美術館から声がかからなかったのか?(無論、そんは理屈は存在しないが)。 

 表現者に限らず、人は誰も、相手との関係性の中で、自分自身を見いだしていく。自分とは何なのか? それは決して、自分一人でははかれないものなのだ。

 美術の世界で表現を始めて、はっきりと自覚したことがある。それは、「僕は音楽家だ」ということ。ものを生み出す発想の全ての基盤が「音楽」にあるのだ。僕が音を中心に物事を考えているという事実は、美術作品を生み出し発表し、同時代のアーティスト達と関わるまでは、深く自覚することはなかった。そう感じているということは、今こそ声高らかに「音楽家・作曲家」と胸を張るべきなのだろうか? いや、でも…音楽の世界にいると「音楽家とも言えない存在だな」と痛感することもしばしば…。

 「自分が何者か? そんなことは重要じゃない」

 それを探ることが人生だとすれば、今まさに、我々はその最中にいるわけだ。その瞬間瞬間を多いに楽しもうではないか!

 今年もまだ、自分としては最大規模の企てが控えている。いつ、どんなときも「必ず出来る」。そう思って取り組んできた。今回もそれに変わりはないが、積み重ねてきた自らが求める理想の大きさによって、敷居はどんどんと高くなるばかり。そんなときに肝心なのは、いつだってかわらない——とにかくいつもの通り、全力を投じてやりきること。僕にはいつだって、それしか約束できないのだから。
 

2009年10月10日

踊る内臓 THE LIVE

 去る2009年9月5日、兵庫県伊丹市立美術館で《踊る内臓THE LIVE》上演。同美術館されていた、ひびのこづえ展「キタイギダイ」の中での関連イベントとして催された企画。

 当日、いつもの通りリハーサルなしの即興で行なわれた二公演は、いずれも大盛況。二回目に至っては、《踊る内臓》シリーズ全12作の中でもっともキャッチーといっていい「膀胱」を演奏中、満場の会場から手拍子まで沸き起こったほどだ。この瞬間、僕は思わず、にやけてしまったのである。その理屈はこうだ。時間と場所を共有するという、宇宙で一番ロマティックな瞬間の本当の威力に直面し、「そうか、こういうことか」と、瞬時に感動を通り越えて笑ってしまった…に違いない(そう、だいたいの僕は、いつも極度の感動に直面すると、笑ってしまうのだ)。
 
 

 
 さて、NHK教育「からだであそぼ」(2008年度)、「あさだ!からだ!」(2009年度)放送のコーナー《踊る内臓》。この最初の仕上げが終わった直後は「俺は歴史に名を刻んだ」と、独り勝手に酔いしれていたことを今では懐かしく思い出す…そんな回想にふけるには、完成からまだ浅い時間しか経っていないのだが、体感上はもう、随分と前の出来事のように感じている(当時の記録は、プロダクションノートを参照されたし。ただし、プロダクションノートは未だ未完)。

 人体の内臓をモチーフにした衣装をまとったダンサー・森山開次が、ひびのこづえデザインの衣装・セットの中で即興。その映像に後から歌詞と音楽をのせ、あたかも「音楽を聴いて踊ったかのように仕上げる」という「驚異的」な試みであったのだが、こうした手法が大得意な僕だけに、その「脅威」が伝わらないほどの完成度をだしてしまった。いや、それだけが理由ではないのは自覚しているが、評判が広まるまでには思った以上に時間がかかったことだけは覚えている。

 明確に記憶しているのは、全12作あるシリーズ後半に差し掛かり「膀胱」が披露されてからだ。あのわかりやすさとキャッチーさが、一部の人たちの間で話題になりはじめたらしい。その時期から、ネット検索のヒット数が増大。番組への問合せも増えたという。

 丁度それと同じ時期(正確には、話題になるよりも少し前)、当時、東京・ギャラリーエークワッドにて、番組の衣装・セットを担当されたひびのこづえさんの展覧会が催されることになった。2008年12月。そこで披露されることになったのがこの「踊る内臓THE LIVE」である(このタイトル《踊る内臓THE LIVE》は、僕が勝手に呼んでいるタイトルで正式に決まったものではない)。

 こづえさんからの依頼では、パフォーマンスでも打合せ、リハーサルは行なわず、12種類ある衣装(臓器)がどの順番で紹介されるかも予め決めない、完全な即興として再現したいのだという。そんな試みをライブで再現するのは困難か? と思いきや、便利なテクノロジーが無数に存在する今、挑戦するには有意義すぎるほどの内容であることに気づくまでにそう時間は必要なかった。

 僕独りで歌から演奏まで全てこなしたうえ、音楽のバリエーションも幅広いただけに、バンドで再現するのは到底無理。だとすると、頼りはコンピュータだ。利口なソフトを活用し、録音した素材をバラバラにして、いつでも即座に再生できる環境を構築しさえすればいい…と思って作業を始めたが、それが仇となることに気づくまでも、やはりそう時間は必要なかったのは言うまでもないだろう。

 ライブのための仕込には、1週間程度、時間をみていた。それが気づけば、結局2週間ほど費やす羽目に。改めて各音源を見直してみると、気になる箇所が山積みで、ライブ用の素材として整理し直し始めたところ、はまり込んでしまったのである。

 しかし、悪戦苦闘した2週間があったお陰で、この試みは結果、大成功を収めた。終演後「CDは売っていないのですか?」「DVDが発売になったら絶対に買います」「着メロが欲しいんですけど」などなど、ステージのすぐ沸きで演奏していた僕のもとにかけ詰めたお客さんから、次々とリクエストを頂いた。無論、我々もそれを望むところではあるのだが、すんなりそれが許される状況ではない、というのが現状。今は「そのときを待ちわびている」のだ。

 そんな我々の目標でもある次なるステップを迎えるべく、「踊る内臓 THE LIVE」は、続いていくのである。まだ2会場4公演しか実現していない試みではあるが、いずれも大好評。老若男女、喜んでもらえる内容に違いない。開次さんのファンの方からすると、本人のソロ作品とは対照的な作風に驚くかもしれないが(加えて言えば、僕の作風とも対照的)、少なくとも、会場を見渡す限り、その嗜好の違いに嫌悪する様子は一切感じない(伊丹の公演では、実際に開次さんのファンと思われる方々が、朝から整理券を求めて長蛇の列をなしていた)。

 僕自身も自分の作風と照らし合わせて思うことだが、人は誰しも、様々な表情を持ち合わせているものなのだ。どんなスタイルで自らを表そうとも、表現者は皆、何かを相手に感じてもらいたいと思っているからこそ、作品を発表し、自らをさらけ出すのである。その思いが根底にあれば、現れる表現がどんなスタイルでも関係ないのである。肝心なのは、自分が産み落とした事象が、相手にどんな影響をあたえ、そしてその影響が、どう自らに還ってくるかなのだ。

 始まったばかりのこの《踊る内臓THE LIVE》という試み——まだまだ僕は物足りない。こんなものじゃ、ない。この渦に、もっともっと多くの人たちを巻き込みたい。その場に宿るあの空気感、雰囲気を何と表現したらいいのだろうか? 体験した人たちの声が、それをいつか言語化してくれるはずだ。そのときがいつ訪れるのか? 今から楽しみでならない。
 

2009年10月09日

NHK教育「あさだ!からだ!」音楽担当

既にご承知のとおり、昨年度までNHK教育で放送されていた「からだであそぼ」は、2009年度より「あさだ!からだ!」と番組名を改め、再スタートを切った。その新番組の中で、昨年度放送されていた僕が作曲を担当したコーナー《踊る内臓》《ケインのたいそう》《ほぐそう》が、引き続き放送されることになったので、下半期を迎えているこの時期ではあるが、改めてお知らせしたい。

昨年度、番組に初参加したときの詳細については、下記を参照されたし。

http://www.kawasekohske.info/KARADA/

一向に執筆が進まない「踊る内臓」他のプロダクションノートは…今年度中には書き上げたいところである。
 

2009年10月08日

ベアリング・グロッケン公式サイト

ベアリング・グロッケン公式サイトがオープンした。

http://www.bearings-glocken.jp/
 
 

 
2008年の夏頃から、二号器の準備に取りかかっていた。それは丁度、好評を博したBankART1929 Yokohamaでのグループ展「心ある機械たち」への出展準備を進めていた時期と重なる。

二号器を製作するにあたっての変更点は次の通り。

・演奏の安定性の向上
・演奏曲目の追加(全5曲に!)
・デザインの一新

簡単に再現されていると思われがちなベアリング・グロッケンの演奏だが、実のところは、かなり高度な技術が投入されて「ようやく」実現されている。それを平然と行なっているようにみせるレベルにまで高めていくには、相当な根気と技術開発が必要になる。

今回は、さらに、球の発射タイミングをより精密に制御できるよう改変を行ない、鍵盤の配列はそのままに、演奏曲目を増やす、という試みにも挑戦した(将来的には、鍵盤の配列を変化させるアイデアもあるのだが、それはまた次のステップでの話しになるだろう)。その昨日を最大限に活用し、新たに4曲の新曲を追加。初号器のために作曲した「エチュード」とあわせて、レパートリーは全5曲となった。

そして何より、最大の目玉といえば「レンタル事業」をこの二号器から始めたことである。2006年の初演後、イベントや各種メディア、展覧会に招待されることが増え、その都度、多くの人たちから笑顔で迎えられ、我々は「この思いを、もっと遠くまで届ける必要がある」と決意した。

世界経済が完全に冷え込む今、人の営みに最も必要なのは、何なのか? きっとこの作品と出逢えた人は、それをはっきりと、それぞれの心の中に刻むであろう。


「これが幸せの法則である」


と、誰もが信じて突き進んできた戦後の暮らしの在り方は、崩壊したといっていい。いかなるシステムも、歯車が噛み合なくなったら最後——どんなシステムにも正解はないし、同じやり方はそう長くは通用しないのだ。

望む営みの全てを生み出す礎は何だったのか? 今、改めてそれを考え直すときに差し掛かっている。もしもそのお役に我々の仕事が役に立てるのなら、あえて険しい道を選んだ我らの試みも、何か意味を成すときが来るのかもしれない。