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踊る内臓 THE LIVE

 去る2009年9月5日、兵庫県伊丹市立美術館で《踊る内臓THE LIVE》上演。同美術館されていた、ひびのこづえ展「キタイギダイ」の中での関連イベントとして催された企画。

 当日、いつもの通りリハーサルなしの即興で行なわれた二公演は、いずれも大盛況。二回目に至っては、《踊る内臓》シリーズ全12作の中でもっともキャッチーといっていい「膀胱」を演奏中、満場の会場から手拍子まで沸き起こったほどだ。この瞬間、僕は思わず、にやけてしまったのである。その理屈はこうだ。時間と場所を共有するという、宇宙で一番ロマティックな瞬間の本当の威力に直面し、「そうか、こういうことか」と、瞬時に感動を通り越えて笑ってしまった…に違いない(そう、だいたいの僕は、いつも極度の感動に直面すると、笑ってしまうのだ)。
 
 

 
 さて、NHK教育「からだであそぼ」(2008年度)、「あさだ!からだ!」(2009年度)放送のコーナー《踊る内臓》。この最初の仕上げが終わった直後は「俺は歴史に名を刻んだ」と、独り勝手に酔いしれていたことを今では懐かしく思い出す…そんな回想にふけるには、完成からまだ浅い時間しか経っていないのだが、体感上はもう、随分と前の出来事のように感じている(当時の記録は、プロダクションノートを参照されたし。ただし、プロダクションノートは未だ未完)。

 人体の内臓をモチーフにした衣装をまとったダンサー・森山開次が、ひびのこづえデザインの衣装・セットの中で即興。その映像に後から歌詞と音楽をのせ、あたかも「音楽を聴いて踊ったかのように仕上げる」という「驚異的」な試みであったのだが、こうした手法が大得意な僕だけに、その「脅威」が伝わらないほどの完成度をだしてしまった。いや、それだけが理由ではないのは自覚しているが、評判が広まるまでには思った以上に時間がかかったことだけは覚えている。

 明確に記憶しているのは、全12作あるシリーズ後半に差し掛かり「膀胱」が披露されてからだ。あのわかりやすさとキャッチーさが、一部の人たちの間で話題になりはじめたらしい。その時期から、ネット検索のヒット数が増大。番組への問合せも増えたという。

 丁度それと同じ時期(正確には、話題になるよりも少し前)、当時、東京・ギャラリーエークワッドにて、番組の衣装・セットを担当されたひびのこづえさんの展覧会が催されることになった。2008年12月。そこで披露されることになったのがこの「踊る内臓THE LIVE」である(このタイトル《踊る内臓THE LIVE》は、僕が勝手に呼んでいるタイトルで正式に決まったものではない)。

 こづえさんからの依頼では、パフォーマンスでも打合せ、リハーサルは行なわず、12種類ある衣装(臓器)がどの順番で紹介されるかも予め決めない、完全な即興として再現したいのだという。そんな試みをライブで再現するのは困難か? と思いきや、便利なテクノロジーが無数に存在する今、挑戦するには有意義すぎるほどの内容であることに気づくまでにそう時間は必要なかった。

 僕独りで歌から演奏まで全てこなしたうえ、音楽のバリエーションも幅広いただけに、バンドで再現するのは到底無理。だとすると、頼りはコンピュータだ。利口なソフトを活用し、録音した素材をバラバラにして、いつでも即座に再生できる環境を構築しさえすればいい…と思って作業を始めたが、それが仇となることに気づくまでも、やはりそう時間は必要なかったのは言うまでもないだろう。

 ライブのための仕込には、1週間程度、時間をみていた。それが気づけば、結局2週間ほど費やす羽目に。改めて各音源を見直してみると、気になる箇所が山積みで、ライブ用の素材として整理し直し始めたところ、はまり込んでしまったのである。

 しかし、悪戦苦闘した2週間があったお陰で、この試みは結果、大成功を収めた。終演後「CDは売っていないのですか?」「DVDが発売になったら絶対に買います」「着メロが欲しいんですけど」などなど、ステージのすぐ沸きで演奏していた僕のもとにかけ詰めたお客さんから、次々とリクエストを頂いた。無論、我々もそれを望むところではあるのだが、すんなりそれが許される状況ではない、というのが現状。今は「そのときを待ちわびている」のだ。

 そんな我々の目標でもある次なるステップを迎えるべく、「踊る内臓 THE LIVE」は、続いていくのである。まだ2会場4公演しか実現していない試みではあるが、いずれも大好評。老若男女、喜んでもらえる内容に違いない。開次さんのファンの方からすると、本人のソロ作品とは対照的な作風に驚くかもしれないが(加えて言えば、僕の作風とも対照的)、少なくとも、会場を見渡す限り、その嗜好の違いに嫌悪する様子は一切感じない(伊丹の公演では、実際に開次さんのファンと思われる方々が、朝から整理券を求めて長蛇の列をなしていた)。

 僕自身も自分の作風と照らし合わせて思うことだが、人は誰しも、様々な表情を持ち合わせているものなのだ。どんなスタイルで自らを表そうとも、表現者は皆、何かを相手に感じてもらいたいと思っているからこそ、作品を発表し、自らをさらけ出すのである。その思いが根底にあれば、現れる表現がどんなスタイルでも関係ないのである。肝心なのは、自分が産み落とした事象が、相手にどんな影響をあたえ、そしてその影響が、どう自らに還ってくるかなのだ。

 始まったばかりのこの《踊る内臓THE LIVE》という試み——まだまだ僕は物足りない。こんなものじゃ、ない。この渦に、もっともっと多くの人たちを巻き込みたい。その場に宿るあの空気感、雰囲気を何と表現したらいいのだろうか? 体験した人たちの声が、それをいつか言語化してくれるはずだ。そのときがいつ訪れるのか? 今から楽しみでならない。