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Long Autumn Sweet Thing in Korea

 我がデビュー作である音と光のインスタレーション《Long Autumn Sweet Thing》が、2009年9月30日から11月25日まで、韓国・大田市(テジョン=Daejeon市)にある、Daejeon Museum of Artでのグループ展「Hitchhiker to the galaxy」に展示される。

 これまでの代表的な展示記録は、下記に。

 http://www.kawasekohske.info/LAST/
 

 YouTube上にも、作品紹介をアップしている。

 
 
 

 
 9月28日から10月1日まで、設営と展覧会オープンニング出席のため渡韓。金浦空港からバスで3時間ほどの場所にある大田市は、温泉地として有名らしいが、日本のそれとはだいぶ印象が違う。大田市そのものは、日本の筑波をイメージして都市計画がされたとのことで、KAISTと呼ばれる技術系大学(日本でいうところの東京工業大学やアメリカのMITのようなテクノロジーに関する専門性を持つ大学)などと市、美術館が連動して、二年に一度、メディアアート系の展覧会を催しているという。1993年には、大田万博も開催された。今回の渡航期間中は、観光をしている時間は全くなかったので、その当時の様子を味わうまでには至らなかったのが残念なところ(美術館エントランスホールには、当時の万博のために制作されたナム・ジュン・パイクの巨大な作品が鎮座している)。今年は、台湾・台北へ70日も滞在した経験があるだけに、僅か数日の渡航では「行った気」にならないというのが正直な感想だ。これはもう、韓国へもレジデンスしに行くしかないかもしれない。

 ちなみに、2007年開催の同美術館での展覧会には、僕が音楽を担当した映像作品《PopulouSCAPE》が召還されている。なかなか深い縁、と言えるだろう。

 今回の展示の依頼を受けたきっかけは、2008年、BankART1929 Yokohamaで行なわれたグループ展「心ある機械たち」。そこに展示していた同作品を実際に見たという韓国のキュレーターが直々に声をかけてくれたのである。「オファーが来るかも」という事前の通達は、BankARTを経由して今年の2月頃からいただいていた。正式なやり取りが始まるのはその随分後からとなるが、作品輸送のための作業が本格化した9月、作品メンテナンス中に突如の機材トラブルに見舞われ、回復させるために壮絶な時間を過ごすことになる。同時に国内で進行中のプロジェクトのための準備や出張も重なったため、韓国から帰国後、予想通り、体調を崩した。緊張の糸が途切れたときに訪れる、我が家で言うところの「やれやれ病い」である(要するに、風邪)。

 準備中は、流行している新型インフルエンザに備えて、日常のうがい手洗いはもちろん、マスクを常用し備えていたのだが、遂に限界を越えてしまった。幸い、症状はさほど重くなく、この連休の間、自宅療養をしていれば回復する見込みだ(受診したわけではないから正確には言えないが、インフルエンザではないはず)。自らの不徳の致すところではあるが、進行中のプロジェクトのためのリサーチも滞り、さらに次なる挑戦のための準備の時間も減る一方…。とにかく身体を復調させようと、今年話題のビートルズのリマスター盤を聞きながら、心も併せて束の間の休息をとっている。

 それにしても、思えば、いわゆる「ホワイトキューブ」と呼ばれる「美術館」での展示に個人作品が召還されたのは、これが初めてである。便宜上、自らの立場を「作曲家・美術家」と名乗っているが、未だ自分が何なのか? 全くわかっていない。音楽の世界の人でもないし美術界の住人でもないような…そんな気がしている。気づけば、音楽仲間よりも、知人や仕事仲間はアートに携わる人たちの方が圧倒的に多くなっている。単なる比率でいえば「美術に携わる人」ということなのだろうか? そんなスタンスだから美術館から声がかからなかったのか?(無論、そんは理屈は存在しないが)。 

 表現者に限らず、人は誰も、相手との関係性の中で、自分自身を見いだしていく。自分とは何なのか? それは決して、自分一人でははかれないものなのだ。

 美術の世界で表現を始めて、はっきりと自覚したことがある。それは、「僕は音楽家だ」ということ。ものを生み出す発想の全ての基盤が「音楽」にあるのだ。僕が音を中心に物事を考えているという事実は、美術作品を生み出し発表し、同時代のアーティスト達と関わるまでは、深く自覚することはなかった。そう感じているということは、今こそ声高らかに「音楽家・作曲家」と胸を張るべきなのだろうか? いや、でも…音楽の世界にいると「音楽家とも言えない存在だな」と痛感することもしばしば…。

 「自分が何者か? そんなことは重要じゃない」

 それを探ることが人生だとすれば、今まさに、我々はその最中にいるわけだ。その瞬間瞬間を多いに楽しもうではないか!

 今年もまだ、自分としては最大規模の企てが控えている。いつ、どんなときも「必ず出来る」。そう思って取り組んできた。今回もそれに変わりはないが、積み重ねてきた自らが求める理想の大きさによって、敷居はどんどんと高くなるばかり。そんなときに肝心なのは、いつだってかわらない——とにかくいつもの通り、全力を投じてやりきること。僕にはいつだって、それしか約束できないのだから。