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2010年05月31日

多様性

 先日、ある新聞記事をみて、なるほどと思ったことがある。地球上に存在する種の数が激減しているというのだ。

 これを、現在の経済活動に置き換えて考えてみると、我々がおかれている危機が、とてもよく納得できる。つまりは、多様であることが、生き延びるための核になるということだ。
 
 

 
 例えば、企業はその昔から、多角経営に乗り出した。それは、ひとつのことだけをやっていても、利益は限られているし、そもそも、生き残れないと感じていたからだろう。企業規模が大きいところほど、創業時の商売だけを貫いているところは、まれだ。

 これを、自分のような個人に置き換えるとどうか? 一人でできることは限りがあるから、なかなか多角経営とまではいかない。なので、いざというときに生き残れるように、豊富なネットワーク(人脈)を持とうとする。食い扶持をなくさないためにも、多くの取引先を確保。さらには、本当に困ったときのために、長い時間をかけて信用確保…泣きつく相手も用意…といった具合か? すなわち、企業にしろ個人にしろ、やりかたは同じなわけだ。

 いつかもここに書いたが、損得勘定での人付き合いが僕にはできない。今よりずっと昔の駆け出しのころは、そんな法則に則ってみようとしていたこともある。けれど、そうしたいわゆる下心で接していた相手のほとんどは、当然、向こうもこちらにメリットがないと思えば動いてくれない。これは商売の原則だから当たり前のことであるが、たびたび、残念な想いに深く包まれたことがある。

 いつからか、人として魅力を覚える人、尊敬できる相手、単純に、一緒に仕事をすると楽しい人…そのとき、そのように感じた相手とだけ、接するようにしてきた。端から見たら、非常に危ない橋を渡っていたように見えたはずだ。それでも、しばらくは上手く機能していた。だがしかし…いつからだろう、何かが混乱し始めたのは。今ではよく思い出せない。でも、その大半は、自分の中の出来事なのは明白だ。何かが制御できなくなった…のだと思う。
 
 多かれ少なかれ、表現というものに向き合ってゆくのは、こういうことなのだと感じている。特に、独りで創作に対峙するスタンスで制作を続けていくと、結果、こうなるような気もしないではない。身近でみていた先輩たちにも、似たような傾向が見受けられたし…。

 好きで選んだあり方なのは、いうまでもない。だから、少しでも楽しくいられるように、こうはならないように、と、自衛に努めた部分はかなりある。しかし、自分以外のことは、制御不能なことばかり…想いが伝わらないこと、どうにもならないことに、いらだちを覚えるようになってから久しい——これは、成長の過程で誰でも直面すること。それを乗り越えてこそ、目指す在り方へ一歩近づける——今も昔も、そう信じ続けている。

 多様性——。自分のことに置き換えればこうだ。音楽に始まり、光の演出や映像制作、物体の構築も手がけ、ときには外部との協同での制作も行うなど、自分の中でできる限り、最大限の可能性を追求してきた。そうした拡張は、種の保存の法則に則って、無意識に行ってきたことなのかもしれない。生き残るための手段として。

 こうして、いろいろなことに携わらせてもらった。常に最善を尽くして。その努力の成果が望む結果を生み出すのは、多くても、得た機会の2〜3割程度だろう。誤解を招かないように付け加えると、努力の成果、つまり、作品そのものは、理想に限りなく近づけられる。いつも悩ましいのは——誰もが追い求めるように——その理想と現実の溝を埋めること。

 この壁を乗り越えるために、そのために今、新機軸を追い求めているところだ。具体的にアイデアは浮かんでいる。それをどう見せるのか? みてもらう人たちとの接点はどれだけあるか? 展開は? それさえつかめれば、最初の形は仕上がるだろう。無論、まだまだ時間はかかりそうだが…。

 もう一つ、新たな側面を今の自分に——言うまでもなく、いつだって必死だが、必死だからといって、何がどうなるわけでもないことくらい、この人知れず重ねてきたキャリアの中で痛いほど知らしめられた。いつか、誰かが知ってくれたらいい、などという、まるで無人島で「我、是に在り」と叫んでいる状態から、脱却しなければならない。己に言い聞かせるように、何度も繰り返す。それは、一刻も早くに、だ。

 窓から空を見上げる——今朝はようやく、久方ぶりの晴れ間が広がっている。いつもの春が来ない前に梅雨入りしてしまいそうだから、今日、いつものあの場所に行ってみようと思う。ほんのわずかでも、何かが変わることを期して。
 

2010年05月30日

ぼんやり

The Sunset, 17 May, 2010

 展示を終え戻ってきた荷物の整理がようやく終わる。
 
 

 
 機材、作品パーツ、工具…いつもながらに、ちょっとした引っ越し程度の荷物の移動。今回は、展示期間中に部屋そのものの整理はだいぶついていたからよかったが、これが、いくつか平行していたりすると大事。想像していたよりも負担が少なく安心したが、よくよく振り返れば、このところは、大掛かりな作品になりつつあるため、現場での負担がこれまでの比ではない。施工/撤収の最中の苦痛を記憶から抹消しようと努めなければ、とても次はやれそうにないほどに…。だからこうして、そのための時間を作る必要があるわけだ。

 この厚生プログラム?の一環というわけではないが、すっかり役目を終えて静かな日々を得たところで、さあどこかへ出かけてみるか? と思うも、そんなあてが見当たらない。そして今日は、奇しくも週末。何をするにも時間がかかるし、人ごみにもまれれば勝手気ままな民にあおられ「道徳」という、もはや死語となりつつあることばが頭を埋め尽くし、とてもくつろげやしない。さらに付け加えれば天気さえ味方しないこのごろ…さて、ぼんやりする以外、何ができようか?

 本を読むほど頭を使う気になれず、かといって、音楽を浴びるほど聴こうという意欲さえ沸かない。楽器でもつま弾くかと、すぐ傍らに佇む彼らに視線をやるも、一向に指一本、触れる気配さえない…せいぜい、こうしてタイプするくらいしか、今はできそうにない…そんなところだ。

 幸いなのは、展示撤収後に見舞われた恒例行事——体調不良——が、予想を下回る程度だったこと。でも、もしかすると、この荷物整理を境にまたドッっと疲れが押し寄せてきそうで心配きわまりない。

 来るべき企てのこともあるし、何より、心身ともに健全でありたいと願う常ゆえ、このところは、疲れを癒そうと、暇さえあれば眠っている。とにかく、展示のためには全身全霊全財産?を投じてしまうから、終われば無駄なもの以外、何も残らない状態に陥る。疲れをいやす方法は、食べて寝る…今の僕には、それしかない。それゆえ、妙な時間に目覚めてしまったり、またその逆もあったりと、不思議な時間をここ数日、過ごしている。

 数ヶ月前に見舞われた出来事が原因で、在宅中でも昼夜問わず雨戸を閉め切っている時間が増えていることもたたっているのだろう。時間の感覚は、どんどん麻痺していく一方だ。おまけに、テレビをほとんどみなくなって久しいから、時報代わりのものもない。だが、これが仕事に入るときは、意外なほど効果を発揮する。高い集中力を生み出してくれるのだ。時間を気にせず、突如沸いたアイデアを書き留めて、気づけば今何時? なんてことも…。でもその分、きっと望まない見返りも多そうだ。ほどほどにしないと。

 ぼんやりしながらも、これから先のことを思い浮かべたりしている。またどんなに僕を興奮させてくれる出来事に巡り会えるだろうか? だけど今は、何があっても、気持ちが踊りそうにないというのが正直なところ。こんな質だから、こういう仕事ができるのさ、という言い訳と、こんな質だから、いつもグズグズしているんだろ? という反省を、今、改めて同時に天秤にかけてみる——今回も、決着つかず…。今も昔も、手に入れたいと切に願うのは、有能なエイジェント、もしくは何事にも屈しない強靭な体力と精神力。後者の方が現実的かつ自由が利きそうかな。いつもいつも、作るだけで精一杯になってしまうこの状況から脱却するために…ぼんやりしてばかりは、いられないのだけれど…。

 でも今は…来るべきその瞬間、心を開いておけるように、もう少しだけ、ぼんやりさせてもらいたい。いかなるときも、メンテナンスは必要だから…というのも、いつか見つけた、都合のいい言い訳のひとつだったりする。

 窓を開けてみた——嗚呼。今日もいつものように、鳥たちのさえずりが心地よい。今年になってから、うぐいすが奇麗な声をよく聴かせてくれる。こんな場所で過ごせるなんて、やっぱり相当、恵まれているんだろう。たとえ今日が、ぼんやりすることしか見当たらない一日になったとしても。

 追伸
 写真は、5月中旬に近所で撮影した夕日。ここからの夕日を眺めていると、これまでのいろいろなことを思い出す。そして今年、この夕日にも、また一つ、記憶が刻まれることとなった。光はいつも、どうしてこんなにも美しいのだろう。ときに目映く、ときに儚く…。
 

2010年05月29日

Jasmine tea

 そんな予感はしていた。だから、たいした出来事ではない…そのはずだった。
 
 でも、実際は違った。こんなにも難しい決断を強いられることになろうとは…。こみ上げてくるものが抑えられなくなった。別に、そんな極端な選択をしなくても、よかったろうに…そう思う。だけど、こういうことに限っては不器用だから…こうする他、ないんだ。
 
 

 
 先月、台湾からジャスミンティーが届けられた。台湾に滞在中は、毎日、ウーロン茶を飲んでいた。ウーロンといっても産地によって色々あって、滞在先近くのお茶屋さんで気になった茶葉を選んでは、それを毎日毎日…飽きもせず毎日毎日…殺風景で大きすぎたスタジオの静けさと寂しさを補うかのように、独りお茶を入れ、それを飲むことから一日が始まっていた。
 
 台湾のお茶は、よく出る。出がらしになるまで、何杯も楽しめる。大勢でお茶を嗜む習慣のある国だから、それも当然か。本当に、毎日、どれだけ湯を沸かしたかわからない。だから、出過ぎた分はポットに入れて、冷蔵庫で保存していた。いつだって急な来客があるものだから、その冷やしたお茶がなかなか重宝していたのだ。
 
 台湾のジャスミンティーは、今回が初めて。いただいたものは、空港で買えるようなものだから、特別、美味しいというわけでもないけれど、あいかわらず、よく出るその茶葉の様子に、1年前の様々な記憶が重なってくる。毎日毎日、東京のこの部屋で口にするたび、ほんの束の間、回想に耽っていた。
 
 
 そろそろ、だな。
 
 
 ガラスの小瓶いっぱいに収められたジャスミンティーの茶葉をティースプーンに一杯、急須に移してぬるめのお湯を注ぐ。しばらく待ってからコップに注いでいただく…台湾式の作法ではないけれど、ただそれだけで満足できた。ただそれだけで、僕には全てのことが思い出せたのだ。一杯ずつ、毎日毎日…たぶん、いただいてから丁度一ト月くらいは味わっていたはず。それで充分だったのか、まだ物足りなかったのか、今はまだよくわからない。
 
 
 そんな予感がして、ついにその瞬間を向かえたその日、偶然にも最後の一杯を味わうこととなるとは…いつもながらに、不思議な巡り合わせだ。いつでも飲めるように、茶葉の瓶の横に常に置いてあったティースプーンにすり切り一杯——それでおしまい。わずかに残ったのは、すくいきれずにこぼれ落ちた屑になった茶葉だけ。

 いい区切りだと思った。考えても考えても気持ちは抑えられない——その繰り返し。ならば、この偶然に委ねよう。そう思った。
 
 
 そろそろ、台湾に想いを寄せるのはやめにしようと思う。
 
 
 僕はここにいて、彼らはあちらにいて、それぞれが、各々の現実と向き合っている。僕もいつまでも、彼らに甘えてはいられない。そんな気がしていたころだった。いや、たぶんきっと、もっとずっとずっと前から、いつかこんな日を迎えなければいけないことを、無意識に自らに課していたのかもしれない。
 
 
 もっと大きく飛躍するために、次の一歩を踏み出す必要がある。そのためには、まだまだ準備が足りない。前に進めなくなっている理由を置かれた環境のせいにして、甘えていたのは自分だ。それをだいぶ前から自覚していながら、心地よい場所に逃げ込んでいたんだ。
 
 
 僕はここで、抗い続けなければならない。
 
 
 このままずっと、甘えてもよかったのかもしれない。いつかのときと同じように、それでも、今とは別の幸せを掴めたのかもしれない。けれど、素直にそうできない自分が未だにいる。都合のいい言い訳を見繕って、別の道に心をゆだねてしまっては、これまでの歩みを全て否定することになる。関わってくれた人たちの想いを無駄にすることになる。この極端な選択が、たとえ美麗島の友からの信頼を損ねたとしても…。あの日、わざわざ厳しい道を選んだのだから…宛もないまま、あれからだいぶ長い道程を歩いてきたのだから…。彼らなら、きっとわかってくれるはずだ。
 
 
 どこかで聞いた言葉——甘えない——それがいつからか、ずっと心に刻み込まれたまま。
 
 
 台湾から頂いた想いと、あの地で気づいた大切な気持ちはこの先も変わらない。それが言い表せないほど、どれだけ貴重なものかは、この僕自身がよくわかっている。あの日々がなければ、心の奥底に眠ったままになっていたであろうことを、呼び覚まされることはなかった。言葉もおぼつかない状態でさえ、かけがえのないものと出逢えるなんて、夢にも思わなかったから。僕にとって、どうしても切り離せないほどの大切な出来事の数々…嗚呼。もしかしたら、やっぱり夢の中の出来事だったのだろうか?
 
 台湾のお茶は、ここではもう、口にしないことにした。次に台湾の地に足を下ろすとき…今度はきっと、自慢の作品を引っさげて、また逢いにいきたい。そのとき、乾杯しましょう。想い出のジャスミンティーで。
 

2010年05月28日

あれから1年 台湾、再び。

台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)台湾人と日本精神(リップンチェンシン)―日本人よ胸をはりなさい (小学館文庫)

小学館 2001-08
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 台湾でのレジデンスから戻って1年が経過した。すっかりそれ以前の東京の暮らしぶりが板についてきている。
 
 今も、台湾の友人達とは、インターネットを介して連絡をとり合っている。それが、あの日々が夢ではなかったことを唯一実感させてくれる。僅か70日間という滞在ではあったが、あの日々に感じたことは、鮮烈に心に焼き込まれている。そして今、その想いが何だったのか? 彼らから受け取った気持ちは、何故にこんなにも豊かな彩りを放っているのか? それを感覚だけではなく理屈として刻み込みたくて、台湾に関する本をいくつか読みあさっている。

 もしかしたら、そこには僕が未だ言葉にできていない想いが記されているかもしれない。自分の中に眠る言葉をもっと沢山発掘したい——そこで浮き彫りになったのは、現地にいたときに感じていたままのことだった。台湾での暮しから感覚として心に刻み込んだことと、それから1年が経って東京で暮しの中で頭から理解しようと取込んだ理屈は、寸分違わぬ一致を見せたのだ。
 
 

 
 今回手に取った書籍は、主に2000年を中心に出版されたもの。日本人の目からみた台湾だけではなく、台湾人から見た日本について触れられているものなど、まんべんなくピックアップしている。

新ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論 (小学館文庫)新ゴーマニズム宣言SPECIAL 台湾論 (小学館文庫)

小学館 2008-11
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 まだ全てに目を通したわけではないが、不思議だったのは、日本人作家が記した台湾に関する書籍の内容だ。どれも今からおよそ10年ほど前に書かれたものだというのに、僕が昨年、現地で感じたことと、ほとんど変わらない想いを綴っているのである。台湾から戻って、渡台経験のある何人かの友人知人に台湾での話しをしてみたところ、やはり皆、一様に似たようなことを話し出す。

 それだけ、台湾には、先祖伝来、大切にしている何かが今もしっかり残っているのだろう。そして、多くの日本人が、一様に鮮烈な体験としてそのことを話すのは、近代日本(戦後、高度経済成長以降)では、こんなにも当たり前で失われるはずもないと思われていたことが、喪失したとは言わないまでも、希薄なっているからではないか?

 僕がどんなことを感じたのかについては、BankART1929ならびにYokohama Creativecity Centerなどで配布されている「台北・横浜アーティスト交換プログラム2008」記録冊子を是非ご覧頂きたい(光の軌跡を捉えた夜景の写真が目印)。

李登輝学校の教え (小学館文庫)李登輝学校の教え (小学館文庫)

小学館 2003-09
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アジアの知略―日本は歴史と未来に自信を持て (カッパ・ブックス)アジアの知略―日本は歴史と未来に自信を持て (カッパ・ブックス)

光文社 2000-07
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日本に恋した台湾人日本に恋した台湾人
謝 雅梅

総合法令出版 2000-02
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 手に入れたのは、これらだけではない。まだ目を通していないのだが、最も読むのを楽しみにしているのは、これだ。

街道をゆく (40) (朝日文芸文庫)街道をゆく (40) (朝日文芸文庫)

朝日新聞社 1997-05
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 亡くなる数年前に記したものらしい。氏が、どんな視点で台湾を見たのか? それが知りたい。そして、それは果たして、僕が感じたこととどれほどの差異があるのかを。


 台湾へ向かう前、現地のことを調べる時間は全くなかった。自分のことに忙殺されていたためだ——東京で暮らす民の典型。そして、今回手に入れた台湾に関する本の著者さえも等しく口にする通り、戦後教育を受けてきた多くの「ぼんやり」とした日本人と同様に、台湾という「国」のイメージが、ほとんど掴めていなかった。中国語を話すけれど、中国じゃない…かつて日本に統治されていて…歴史上の問題から日本との正式な国交は結ばれていない…その程度だった。

 帰国後に学んだいくつかの歴史を通じて、台湾に親日家が多いと言われる背景も知った。だがしかし、台湾の人々から受けとった数々の想いは、そうした歴史的政治的背景などは全く関係のない、温かく優しさに溢れる、本当に血の通うものであったこと…だからこそ、僕らは彼らに心揺さぶられるのではないだろうか? 今、僕らが、各々の自分勝手な都合や理屈でせん滅させようとしてしまっているものを、彼らから沢山、受け取ったからではないのか?

 冒頭に紹介している「台湾人と日本人精神」でも似たようなことが触れられている。何事も、受け取る器がなければ、気持ちさえも伝わらない。まさにその通りだ。実際に僕が体験した話しを少し若い世代に話してみたところ、聞く耳を持たないという感じの連中が多い。それを一つ一つ、元に戻そうと働いてみることさえも、多くの人たちが、あきらめてしまっているのもまた事実だ。想いが伝わらない…そんな体験が続くと、人は当然、疲弊していく。自らを守るために、口を閉ざす、個を重視する…みんな、バラバラになる。


 もしかしたら、もう僕らには、手遅れかもしれない。それは「普遍的なもの」であったはずなのに…。


 それでも僕らは、誰かと繋がりたくて、電子ネットワークの中を彷徨っている…まだ希望はある…そう思いたい。


 民主主義、社会主義、共産主義、資本主義…あらゆるシステムを開発してきた我々、民。今、たまたま生き残ったシステムが優れていると思われがちだが、果たしてそうだろうか? どんなシステムも、一度歯車が狂い出すと…そろそろ、残されたこのシステムも最期のときを迎えようとしているのかもしれない。それに乗ったら最後、早かれ遅かれ、末路はどれも同じだ。

 かつて日本は、台湾より少しだけ早く、その道を進み出した。僕が覚えた懐かしさを残す国・台湾には、どうか日本とは別の道を歩んでほしいと願うばかりだ。


 手に入れた全ての本を読み終わったら、もう一度おさらいするつもりで、これを見る。昨年、帰国後に公開された映画「台湾人生」が今年、DVD化された。書籍も発行されたらしい。

台湾人生 [DVD]台湾人生 [DVD]

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台湾人生台湾人生

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昨年に記した、映画鑑賞後の日記

もう一度見返した後、あの日何を感じたのか、深く、そして強く、思い返すことだろう。
 

2010年05月27日

波、止む。

展示、終了。

無事に終えられたことは何よりだが、手応えが全く感じられないままだった。一体、これは誰かのためになったのか?——そんなことばかりが、頭をよぎる。

 

 
そんな僕の気持ちを察してか、撤収の合間には、スタッフから労いの声を頂く。誰よりも会場にずっといる人たちに気に入ってもらえたことは、確かに喜ばしいことだ。やった甲斐があった…のかもしれない。

ただ…それだけでは駄目なことくらい、充分過ぎるくらい自覚している。そして、様々な局面で、作家としての自分の立ち位置、扱われ方を「改めて」痛いほど知らしめられた。その事実が、つまりは、総合的な意味での自分の実力を映し出していると言える。

ここから抜け出さなければいけない。一刻も早く。だが、全てが揃わなければ、それは達成されない。まだまだ足りないものだらけだ。
 

2010年05月16日

残り1週間 《LASTing WAVE for 象の鼻テラス》

LASTing WAVE 06

4月29日から始まった展示《LASTing WAVE for 象の鼻テラス》の会期も、早いもので、残すところあと1週間となった。5月23日(日)18時まで。

川瀬浩介 《LASTing WAVE for 象の鼻テラス》

http://www.kawasekohske.info/LWZ/
 
 

 
展示準備終了直後から、いつものとおり、数日、倒れていた。

倒れたというと大袈裟だが、今年の春の不順な天候と無事、満足のいく状態での展示を完遂できたことによる安堵感から、一気に疲れが押し寄せてきて、風邪を引き、寝込んだ。体調が悪いと、思考もマイナス方向になる。ましてや今年は、寒い春だし日差しも足りないし余計だ。

疲れを加速させてしまったのは、得意のおしゃべり。連休中には、予定されていたレクチャーで3時間、その翌週にも、Appleストア銀座で行なわれたVJサミットというイベントで30分(待ち時間と打上げのひと時、知人達との楽しい駄弁タイムを入れればやはり3時間近く)、熱く語ったため、喉もやられた。その影響もあって、予想以上に重たい症状に見舞われてしまった。

症状が回復していく間も、細かく事務作業などをこなしたり、中間チェックのため、肌寒い風の吹く現地へ赴いたり…と、完全休養とはいかず、結局今も、何となく、風邪っぽいまま。そして気づけば、会期も残すところ僅か…記録撮影もせねばならず…またもや、体力を使い果たしそうな流れに陥りかけている。

撤収後にも、続くプロジェクトの準備が始まる。でも、願わくは、心身ともにゆっくりできる時間を、僅かでも持ちたいところ。そのためにも、一刻も早く、体調を戻さないと…。幸い、食欲だけは衰えていない。だから回復も早そうと思うも、なかなか…。そんなことなら、こんなときくらい、自然減量したいところだが、それさえも叶いそうにない(苦笑)。


それにしても…噂には聞いていたけれど、予想していた以上に、難しい環境での展示となっている。場所の性質上、致し方ない部分もあるのだろうが、そうした条件を越えて、惹き付けることができていないという意味では、実力不足と言われても致し方ない。個人的には、作品の内容、仕上り自体は満足いくものなのだが、大人気の拙作《ベアリング・グロッケン II》と比べてしまうと、本作は抽象性が高いためか、リアクションを全くといっていいほど感じることができない。なんとも残念。


「ただただ、美しい」


そんな風に、見たまま聞こえたままに感じてもらえるだけでも充分に嬉しいのだが、どうも敷居を高く見せてしまっているのか、「これは何なのか?」と、考え込ませてしまうこともあるようだ。そして同時に、あまりに環境にフィットしすぎていて(そこまでの状態に完成させるのが展示の条件でもあったし、自分の目指すところでもあったのだが)、特別に展示したものとは思われていないような印象も感じとれる——いつもの風景の一部と化している?


そして何より、併設されているカフェで販売されている、ソフトクリーム…象の鼻という名前にちなんだ、象さんの表情を再現したこの名物には、敵うはずもない。人は食べ物を求めて、移動するくらいだから…ご家族連れやカップルで来場されれば、それは当然、このソフトクリームが素敵な思い出作りに一役買ってくれる。なんだかわからない作品を崇めるよりも圧倒的にだ。無論、人はときにアートを求めても移動するが、それは、よほど見たいと思う作家か作品があることが前提となるゆえ、僕では未だ、役不足と言えよう。

まだまだ、思うところへ到達するための様々な準備が、全く整っていない。


望んだ結果が得られるかどうかまでは、コントロールできない。だから、いつも、唯一約束できることに専心する。これまでも変わらず貫いてきた通り、僕に当られた役割を全うするため、今回も、持てる力の全てを出し切った。だがしかし…課題はいつも同じだ。その問題を解決するための専門家が必要だという状況にあることさえも、旧来通り。なんとかしたいが、方法と手段が未だ見えないままだ。

とにかく、残り1週間となった。撤収まで含めて、無事に終えられることだけを今は考えたい。
 

2010年05月13日

ベアリング・グロッケン II @ MEX金沢2010

BEARINGS GLOCKEN II Exhibition 02

5月20日(木)〜22日(土)、石川県金沢市で行なわれる機械工業見本市、MEX金沢2010に、《ベアリング・グロッケン II》を出展。詳しくは、下記まで。

http://www.bearings-glocken.jp/jp/news/
 
 

2010年05月11日

大共有時代からの遊離 An Isolation from The Age of Sharing

 新旧さまざまなテクノロジーやサービスに出逢うとき、いつも思い浮かべるのはこの言葉——道具は使いよう。

 どんな道具も、使い方次第。つまり、メリットもデメリットも、常に表裏一体ということだ。
 
 だからいつだって、まず、試してみる。それがどんなものかと。けれど僕は、いつだってそのほとんどに、違和感を覚えることばかりだ。
 
 

 特に昨今は、「大共有時代」と言えそうなほど、「みせかけだけのつながり」にさらなる密度と加速度を持たせようとする加熱ぶり。活用できるものは何でも…という思いは僕だって同じだ。可能性は、十二分に理解しているし、それが生み出した「これまでではありえない現象」も目の当たりにしている。だが、やはりいつもと同じように、肌に合わなかった。

 台北以降、あの場所で過ごした日々を思うと、東京での暮しで感じる人と人との隔たりは、計り知れない。同じ街に暮らしていても、友達と会える時間なんて、ほとんどないのが現状だ。会おうと思えば、すぐに逢えるはず…けれど、仕事が一段落するまでは…相手も忙しそうだから…そんな言い訳だけがいつも寄り添ってくる。

 そう、誰もが、こんなふうに思っているに違いない。皆、強い繋がりを求めているはず…それがわかっていても叶わないもどかしさ…。その代替物が…これ、か…。あまりに貧しいつながり方ではないか? 


 時代はいつも、変わり続ける。人の感覚もそれに伴う…当然のこと。何を選択し何を求めるかなんて、言うまでもないこと——自由だ。ならば僕はこうしよう。誰よりも、本当の強い結びつき、つながりを求めているからこそ、僕はあえて、隔たりのあるのつながりからは、距離を置く——そう、それこそが、僕にとって、相手のことをより深く感じることなのだから。

 容易く手に入るものに、愛おしさが募るはずもない。本当に欲しいものなら、僕は必死で見つけ出す。

 たったひとつ、確かなものを、いつも追い求めたい。そしてそれが、誰かにとっても大切なものとなるのなら、それ以上は何もいらない。

2010年05月10日

川瀬浩介プレゼンテーション@VJサミット2010 まとめ

2010年5月9日、Appleストア銀座で行なわれたVJサミット2010でのプレゼンテーションで紹介した内容まとめを。

VJのVは、"Versatile"のV!
V is for "Versatile!"  

と定義して、Visualだけではない、Versatile=多様なメディアとのコネクトを現代VJは可能にしているというテーマで、予定時間を大幅にオーバーしてお届けしたプレゼンテーションでは、これまでの活動を通じて、音楽を軸に、光・運動・像・身体とコネクトしてきた例を紹介。楽しんでもらえていたらよいのだが…いつもながら、担当N氏には頭が下がる。ご面倒をおかけしました。そしてもちろん、出演者並びに関係各位へも、重ねてお礼とお詫び申し上げます。

以下、「続きを読む」で当日紹介した内容のリンク先をリストアップ。これまでの活動を大まかに総括した内容となっているゆえ、当日ご覧頂いた方もそうでない方も、今一度、お楽しみ願いたい。
 
 

 
Long Autumn Sweet Thing in Korea
http://www.kawasekohske.info/LAST09/

2002年発表の川瀬浩介デビュー作。上記URLは、2009年、韓国・テジョン市立美術館での展示報告から。ここで見られるYouTubeのプレイリストで、2003年、UPLINK Galleryでの個展の様子など、過去の代表的な展示の記録映像を一挙紹介。


Long Autumn Sweet Thing in 高松丸亀町
http://www.kawasekohske.info/LAST_TM09/

2009年晩秋から、香川県・高松市、高松丸亀町商店街のクリスマスイルミネーションとして発展したLong Autumn Sweet Thing。デビュー作としての発表から7年、より多くの人たちとの触れ合いの機会を得る。上記URLには、現地で連日上演されていた作品の動画記録と写真記録を紹介。


LASTing WAVE for 象の鼻テラス
http://www.kawasekohske.info/LWZ/

2010年春現在の最新作《LASTing WAVE》。Long Autumn Sweet Thing=LASTから続く、終わることのない新しい波を起こせ!との意気込みで命名、制作された。横浜開港・発祥の地と言われる象の鼻に2009年にオープンした「象の鼻テラス」のために、楽曲はもちろん、光の演出もゼロから組み立てられている。5月23日(日)の会期終了以降に、動画記録をアップ予定。現状は、会期当日、早朝に記録した、完成直後の写真記録のみ公開している。


BEARINGS GLOCKEN
http://www.kawasekohske.info/BG/

ベアリング・グロッケン初号器の記録。衝撃的チャーミングな作品の伝説は、ここから始まった。プレゼン当日は紹介しきれなかった5000字に及ぶコンセプトシート《ベアリング・グロッケンの哲学》およびYouTube上にアップしている動画記録、公式写真記録を紹介。


BEARINGS GLOCKEN II
http://www.bearings-glocken.jp/

初号器誕生から3年。2009年春、ついに二号器が登場。初号器からデザイン、性能面を一新し、演奏曲目も5曲に増強。各曲についての簡単な解説と公式動画、公式写真記録、カタログ写真、フライヤーなど、ベアリング・グロッケン IIの全ては、ここ公式サイトでご覧いただける。


Scene of Light〜光の情景のための習作
http://www.kawasekohske.info/SOL/

「目に見える全ては——光。」という普遍的な事実をロマンティックな手法で伝えるための試み——シーン・オブ・ライト。その最初の挑戦の記録。2007年12月発表。


川瀬浩介展@B Gallery | Scene of Light〜光の情景
http://www.kawasekohske.info/SOL09/

2009年1月、BEAMS B Galleryで行なった展示記録。シーン・オブ・ライトをアップデートさせ、ギリシャ神話に登場する「Echo(エコー)」「Narcissus(ナルキッソス)」の二人の物語をモチーフに展開した、音と光と愛の物語。


台北・横浜アーティスト交換プログラム2008 完全記録集
http://www.kawasekohske.info/TAV09/

都市を映し出す光——それは美しく、ときに、儚い。

上記、B Galleryの個展直後、レジデンス・プログラム参加のため、台湾・台北へ旅立つ。「光」に着目したシリーズ《シーン・オブ・ライト》のコンセプトは、このプログラム以降、【音と光で都市の現在をアーカイブ】するプロジェクトへと昇華。その最初の試みを台北で実践した。街でみた光景、聞いた音を記録し、現地で奏でたピアノの調べと共に、一つの映像作品として完成させた。作品は、台北国際藝術村にて「川瀬浩介展」として公開され、本シリーズに共通する手法——鏡に映像が浮かび上がる——で展開。光の情景として還元された『私たち棲む街』と自分自身の像を同時に見つめながら、自らの心象と対話していく環境を演出した。
これは、台北で暮らした70日間の完全記録である。オープンスタジオの動画記録などは、現地での暮しを垣間みる絶好の材料といえるだろう。


踊る内臓
http://www.kawasekohske.info/KARADA/
http://www.kawasekohske.info/ASADA/
http://www.kawasekohske.info/NAIZOH/

NHK教育「からだであそぼ」で放送されていた1コーナー《踊る内臓》。ここで紹介するのは、そのプロダクションノートなど。
 

2010年05月07日

VJサミット2010 @ Appleストア銀座 出演

VJ Summit 2010
2010年5月9日(日)
17:00〜20:30
Appleストア銀座 3Fシアター
入場無料

http://www.apple.com/jp/retail/ginza/

伝説の第一回VJ Summitに続き、今年、再び川瀬浩介が、全12組のゲストの1人として登場します。
 
 

 
一般的に認識されている「VJ」とはかけ離れた活動をしている川瀬浩介が、ここで何を伝えようというのか?

旧作から近作、そして現在展示中の最新作について紹介しながら、「VJのVは《・・・》のV」(カッコ内の言葉は当日発表)として、現代における表現の可能性についてお話します。
といっても、決して堅苦しい雰囲気ではありません。短い時間ではありますが、ご来場いただく皆さんと楽しく、お話できればと思っています。

備考)川瀬浩介の登場は、19時過ぎから15分間の予定です。
 

VJ Summit 2010
プロから学生まで、日本を代表するVJが集まるVJ Summitを開催します。最新のVJの世界をプレゼンテーションやパフォーマンスでご紹介するほか、参加者同士が交流できる機会も設けます。これからVJを始めたいと思っている方から、VJに新たな表現を求めている方まで、ぜひお気軽にご参加ください。

■ゲスト一覧

 1 rinnforzando(リンフォルザンド)
 2 Roland
 3 CRYSTAL
 4 未来楽器
 5 antymark x karan
 6 motordrive
 7 Quartz Composer User Group
 8 VJ REEL+k-mixx
 9 Rudesign 北村、Finger Piano 和田、Alex
10 川瀬浩介  
11 michi
12 shotaro

2010年05月06日

ベアリング・グロッケン II @ イベントJAPAN, 横浜

BEARINGS GLOCKEN II @ world premiere 01

5月11日(火)〜12日(水)、パシフィコ横浜で行なわれる見本市、イベントJAPANに、《ベアリング・グロッケン II》を出展。詳しくは、下記まで。

http://www.bearings-glocken.jp/jp/news/