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ぼんやり

The Sunset, 17 May, 2010

 展示を終え戻ってきた荷物の整理がようやく終わる。
 
 

 
 機材、作品パーツ、工具…いつもながらに、ちょっとした引っ越し程度の荷物の移動。今回は、展示期間中に部屋そのものの整理はだいぶついていたからよかったが、これが、いくつか平行していたりすると大事。想像していたよりも負担が少なく安心したが、よくよく振り返れば、このところは、大掛かりな作品になりつつあるため、現場での負担がこれまでの比ではない。施工/撤収の最中の苦痛を記憶から抹消しようと努めなければ、とても次はやれそうにないほどに…。だからこうして、そのための時間を作る必要があるわけだ。

 この厚生プログラム?の一環というわけではないが、すっかり役目を終えて静かな日々を得たところで、さあどこかへ出かけてみるか? と思うも、そんなあてが見当たらない。そして今日は、奇しくも週末。何をするにも時間がかかるし、人ごみにもまれれば勝手気ままな民にあおられ「道徳」という、もはや死語となりつつあることばが頭を埋め尽くし、とてもくつろげやしない。さらに付け加えれば天気さえ味方しないこのごろ…さて、ぼんやりする以外、何ができようか?

 本を読むほど頭を使う気になれず、かといって、音楽を浴びるほど聴こうという意欲さえ沸かない。楽器でもつま弾くかと、すぐ傍らに佇む彼らに視線をやるも、一向に指一本、触れる気配さえない…せいぜい、こうしてタイプするくらいしか、今はできそうにない…そんなところだ。

 幸いなのは、展示撤収後に見舞われた恒例行事——体調不良——が、予想を下回る程度だったこと。でも、もしかすると、この荷物整理を境にまたドッっと疲れが押し寄せてきそうで心配きわまりない。

 来るべき企てのこともあるし、何より、心身ともに健全でありたいと願う常ゆえ、このところは、疲れを癒そうと、暇さえあれば眠っている。とにかく、展示のためには全身全霊全財産?を投じてしまうから、終われば無駄なもの以外、何も残らない状態に陥る。疲れをいやす方法は、食べて寝る…今の僕には、それしかない。それゆえ、妙な時間に目覚めてしまったり、またその逆もあったりと、不思議な時間をここ数日、過ごしている。

 数ヶ月前に見舞われた出来事が原因で、在宅中でも昼夜問わず雨戸を閉め切っている時間が増えていることもたたっているのだろう。時間の感覚は、どんどん麻痺していく一方だ。おまけに、テレビをほとんどみなくなって久しいから、時報代わりのものもない。だが、これが仕事に入るときは、意外なほど効果を発揮する。高い集中力を生み出してくれるのだ。時間を気にせず、突如沸いたアイデアを書き留めて、気づけば今何時? なんてことも…。でもその分、きっと望まない見返りも多そうだ。ほどほどにしないと。

 ぼんやりしながらも、これから先のことを思い浮かべたりしている。またどんなに僕を興奮させてくれる出来事に巡り会えるだろうか? だけど今は、何があっても、気持ちが踊りそうにないというのが正直なところ。こんな質だから、こういう仕事ができるのさ、という言い訳と、こんな質だから、いつもグズグズしているんだろ? という反省を、今、改めて同時に天秤にかけてみる——今回も、決着つかず…。今も昔も、手に入れたいと切に願うのは、有能なエイジェント、もしくは何事にも屈しない強靭な体力と精神力。後者の方が現実的かつ自由が利きそうかな。いつもいつも、作るだけで精一杯になってしまうこの状況から脱却するために…ぼんやりしてばかりは、いられないのだけれど…。

 でも今は…来るべきその瞬間、心を開いておけるように、もう少しだけ、ぼんやりさせてもらいたい。いかなるときも、メンテナンスは必要だから…というのも、いつか見つけた、都合のいい言い訳のひとつだったりする。

 窓を開けてみた——嗚呼。今日もいつものように、鳥たちのさえずりが心地よい。今年になってから、うぐいすが奇麗な声をよく聴かせてくれる。こんな場所で過ごせるなんて、やっぱり相当、恵まれているんだろう。たとえ今日が、ぼんやりすることしか見当たらない一日になったとしても。

 追伸
 写真は、5月中旬に近所で撮影した夕日。ここからの夕日を眺めていると、これまでのいろいろなことを思い出す。そして今年、この夕日にも、また一つ、記憶が刻まれることとなった。光はいつも、どうしてこんなにも美しいのだろう。ときに目映く、ときに儚く…。