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大共有時代からの遊離 An Isolation from The Age of Sharing

 新旧さまざまなテクノロジーやサービスに出逢うとき、いつも思い浮かべるのはこの言葉——道具は使いよう。

 どんな道具も、使い方次第。つまり、メリットもデメリットも、常に表裏一体ということだ。
 
 だからいつだって、まず、試してみる。それがどんなものかと。けれど僕は、いつだってそのほとんどに、違和感を覚えることばかりだ。
 
 

 特に昨今は、「大共有時代」と言えそうなほど、「みせかけだけのつながり」にさらなる密度と加速度を持たせようとする加熱ぶり。活用できるものは何でも…という思いは僕だって同じだ。可能性は、十二分に理解しているし、それが生み出した「これまでではありえない現象」も目の当たりにしている。だが、やはりいつもと同じように、肌に合わなかった。

 台北以降、あの場所で過ごした日々を思うと、東京での暮しで感じる人と人との隔たりは、計り知れない。同じ街に暮らしていても、友達と会える時間なんて、ほとんどないのが現状だ。会おうと思えば、すぐに逢えるはず…けれど、仕事が一段落するまでは…相手も忙しそうだから…そんな言い訳だけがいつも寄り添ってくる。

 そう、誰もが、こんなふうに思っているに違いない。皆、強い繋がりを求めているはず…それがわかっていても叶わないもどかしさ…。その代替物が…これ、か…。あまりに貧しいつながり方ではないか? 


 時代はいつも、変わり続ける。人の感覚もそれに伴う…当然のこと。何を選択し何を求めるかなんて、言うまでもないこと——自由だ。ならば僕はこうしよう。誰よりも、本当の強い結びつき、つながりを求めているからこそ、僕はあえて、隔たりのあるのつながりからは、距離を置く——そう、それこそが、僕にとって、相手のことをより深く感じることなのだから。

 容易く手に入るものに、愛おしさが募るはずもない。本当に欲しいものなら、僕は必死で見つけ出す。

 たったひとつ、確かなものを、いつも追い求めたい。そしてそれが、誰かにとっても大切なものとなるのなら、それ以上は何もいらない。