« あれから1年 台湾、再び。 | メイン | ぼんやり »

Jasmine tea

 そんな予感はしていた。だから、たいした出来事ではない…そのはずだった。
 
 でも、実際は違った。こんなにも難しい決断を強いられることになろうとは…。こみ上げてくるものが抑えられなくなった。別に、そんな極端な選択をしなくても、よかったろうに…そう思う。だけど、こういうことに限っては不器用だから…こうする他、ないんだ。
 
 

 
 先月、台湾からジャスミンティーが届けられた。台湾に滞在中は、毎日、ウーロン茶を飲んでいた。ウーロンといっても産地によって色々あって、滞在先近くのお茶屋さんで気になった茶葉を選んでは、それを毎日毎日…飽きもせず毎日毎日…殺風景で大きすぎたスタジオの静けさと寂しさを補うかのように、独りお茶を入れ、それを飲むことから一日が始まっていた。
 
 台湾のお茶は、よく出る。出がらしになるまで、何杯も楽しめる。大勢でお茶を嗜む習慣のある国だから、それも当然か。本当に、毎日、どれだけ湯を沸かしたかわからない。だから、出過ぎた分はポットに入れて、冷蔵庫で保存していた。いつだって急な来客があるものだから、その冷やしたお茶がなかなか重宝していたのだ。
 
 台湾のジャスミンティーは、今回が初めて。いただいたものは、空港で買えるようなものだから、特別、美味しいというわけでもないけれど、あいかわらず、よく出るその茶葉の様子に、1年前の様々な記憶が重なってくる。毎日毎日、東京のこの部屋で口にするたび、ほんの束の間、回想に耽っていた。
 
 
 そろそろ、だな。
 
 
 ガラスの小瓶いっぱいに収められたジャスミンティーの茶葉をティースプーンに一杯、急須に移してぬるめのお湯を注ぐ。しばらく待ってからコップに注いでいただく…台湾式の作法ではないけれど、ただそれだけで満足できた。ただそれだけで、僕には全てのことが思い出せたのだ。一杯ずつ、毎日毎日…たぶん、いただいてから丁度一ト月くらいは味わっていたはず。それで充分だったのか、まだ物足りなかったのか、今はまだよくわからない。
 
 
 そんな予感がして、ついにその瞬間を向かえたその日、偶然にも最後の一杯を味わうこととなるとは…いつもながらに、不思議な巡り合わせだ。いつでも飲めるように、茶葉の瓶の横に常に置いてあったティースプーンにすり切り一杯——それでおしまい。わずかに残ったのは、すくいきれずにこぼれ落ちた屑になった茶葉だけ。

 いい区切りだと思った。考えても考えても気持ちは抑えられない——その繰り返し。ならば、この偶然に委ねよう。そう思った。
 
 
 そろそろ、台湾に想いを寄せるのはやめにしようと思う。
 
 
 僕はここにいて、彼らはあちらにいて、それぞれが、各々の現実と向き合っている。僕もいつまでも、彼らに甘えてはいられない。そんな気がしていたころだった。いや、たぶんきっと、もっとずっとずっと前から、いつかこんな日を迎えなければいけないことを、無意識に自らに課していたのかもしれない。
 
 
 もっと大きく飛躍するために、次の一歩を踏み出す必要がある。そのためには、まだまだ準備が足りない。前に進めなくなっている理由を置かれた環境のせいにして、甘えていたのは自分だ。それをだいぶ前から自覚していながら、心地よい場所に逃げ込んでいたんだ。
 
 
 僕はここで、抗い続けなければならない。
 
 
 このままずっと、甘えてもよかったのかもしれない。いつかのときと同じように、それでも、今とは別の幸せを掴めたのかもしれない。けれど、素直にそうできない自分が未だにいる。都合のいい言い訳を見繕って、別の道に心をゆだねてしまっては、これまでの歩みを全て否定することになる。関わってくれた人たちの想いを無駄にすることになる。この極端な選択が、たとえ美麗島の友からの信頼を損ねたとしても…。あの日、わざわざ厳しい道を選んだのだから…宛もないまま、あれからだいぶ長い道程を歩いてきたのだから…。彼らなら、きっとわかってくれるはずだ。
 
 
 どこかで聞いた言葉——甘えない——それがいつからか、ずっと心に刻み込まれたまま。
 
 
 台湾から頂いた想いと、あの地で気づいた大切な気持ちはこの先も変わらない。それが言い表せないほど、どれだけ貴重なものかは、この僕自身がよくわかっている。あの日々がなければ、心の奥底に眠ったままになっていたであろうことを、呼び覚まされることはなかった。言葉もおぼつかない状態でさえ、かけがえのないものと出逢えるなんて、夢にも思わなかったから。僕にとって、どうしても切り離せないほどの大切な出来事の数々…嗚呼。もしかしたら、やっぱり夢の中の出来事だったのだろうか?
 
 台湾のお茶は、ここではもう、口にしないことにした。次に台湾の地に足を下ろすとき…今度はきっと、自慢の作品を引っさげて、また逢いにいきたい。そのとき、乾杯しましょう。想い出のジャスミンティーで。