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2012年01月03日

未だ見ぬ希望の星たちへの約束 2012

Mt. Fuji from Tokyo Bay #3
 
 
 自分にとっても世界にとっても、激動の一年が終わり、ようやく新しい年を迎えた。暦が更新されたからといって、映画のシーンが切り替わるように、目の前の現実に劇的な変化がもたらされるわけではない。けれど、唯一、変えられるものがあるはずだ。それは、自分の内側に。こうして自らの内面を再び見つめ直すのは、辛く恐ろしい作業になることは承知している。しかしながら、己の再生のため、自分へ向けた期待と希望を込めて、2011年を振り返りながら、新年へ、そして未来へ向けた想いを改めて綴ってみたい。
 
 

 
 2011年…。苦しい時間だった。一体何が起っているのか? 一年を通じて、わからないままだったような気がする。あまりの厳しい現実に、目を背けてきたのかもしれない。当時は、そうやってどこかに逃げ込むしか方法が見つからなかったのだろう。今になって、その姿勢が間違っていたとつくづく思う。

 あまりに過酷な現実を共有した今、ふと思う。人には、忘却という優れた能力が備わっているということを。もしも全ての出来事を忘れ去ることができるのなら、どれだけ幸福だろう。しかし、本当の痛みをしってしまったとき、そんなことが可能なのだろうか? 

 あの日以来、あたりが見えなくなって、呆然と独り、同じ場所に留まっていたとき、ずいぶん昔に知ったことを思い出した──誰かの苦しみを、その誰かと全く同じように感じることができるなら…。どれだけ想像をしても、相手の痛みには届かない。想像の領域を越えられない──本当の痛みの前では何もできないことを知った、あのときの絶望を、ぼんやりと、再び思い浮かべていた。

 「背負い続けられるのか?」 その問いに、僕は当時、完全に敗北した。

 今年の自分はどうだったのか? 当時感じたことを含め、たったひとつのことをずっと考え続けていた。どうしたら、光が射し込むのか? そればかりを追い求めていた。結局、その当時から、そして今も答えには巡り会えないままだ。恐らく、一生を賭して考え続けていくのだろう。

 そしてもうひとつ、よく思い出していた言葉がある。苦しいとき、よりどころにしているものだ。


 『人間のからだはよく出来ていて、
 顔は「前」についているし、からだが向く方向も
 やっぱり「まえ」なんだと思います。

 もちろん、うしろがあってのまえだけど。
 そんな事を考えていました。』

(以上、TK氏より頂いたメールより原文のまま)


 もう10年前のことだったか、哀しみに暮れる僕に、友人がそっと寄せてくれた言葉だ。

 そう、後ろがあるからこそ前がある…全ての事象は連なり、今を生み出している。そして人は、前に進むようにできている。だって、前に進んだ方が簡単じゃないか! 失ったものの大きさに打ちひしがれ、そんな当たり前のことでさえ、思い出せなくなっていた一年だった。


 2011年…。目撃したこと、実際に体験したこと、不意に身に降り掛かったこと…本当に様々な出来事があった。もしも許されるのなら、愉快だったことだけ残して、他は忘れ去りたい…そう思っていた頃もあった。しかし、その時期を越えて、今は全く逆の考え方に辿り着いている。

 これから、たとえどれだけ時間を費やそうとも、あの苦しかった日々を乗り越えたという歴史を刻んでいかなくちゃいけない。だから、楽しかったことだけ覚えていようだなんて、もう思わない。今度こそ、すべての出来事を背負って生きていく。それがどういうことなのかは、未だわからないままだけれど…。

 先人達は、僕らと同様に、沢山の過ちを犯してきた。それでも屈せず、「今」をつないできてくれた。こうしてまだ心と身体があるかぎり、ここで立ち止まっているわけにはいかない。本当に待ち望んだ明日を迎えるために、前進しなくてはいけない。未来は、僕たちだけのものじゃない。未だ見ぬ我らの希望の星たちへ、きちんと届けないといけない。

 こんな僕に、一体何ができるだろうか? それはきっと、そっと役目を終えるときにわかることなのだろう。その瞬間まで、与えられた使命に全力で挑もう! いつだって、僕が唯一約束できることは、それしかないのだから。

2012年1月2日
川瀬浩介